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す。今行きてまさに死亡せんとす。寳器を併せて之を滅沒するに恐びず」と。乃、琵琶を奉還して去る。

忠度忠度も亦よど河より還り、其和歌の師藤原俊成ふぢはらとしなりいたり、夜門をたゝきて刺を通じ、面謁を請ふ。俊成、すこしく門をひらきて之を見る。忠度曰く、「兵興りてより、君門に數するを得ず。今まさに遠く別るべし。聞く『君勅を奉じて撰輯する所あらん』と。臣幸に一章を收むるを得ば、死すとも且不朽なり」と。乃、其歌集を鎧縫よろひのひきあはせより出だす。俊成泣きて之を受く。行盛行盛、俊成の子定家さだいへを師とす、又其集を遺して留別す。俊成、定家、後並びに撰集するに、二人の作る所を收むと云ふ。

是に於て族を擧げて、輿を奉じて西す。貞能平貞能、攝津より還るに會ふ。馬を下りて、ひざまづきて曰く、「諸公いづくかんと欲するや」と。宗盛故を吿ぐ。貞能、大に其不可なるを諫むれども聽かず。貞能、獨東して京師に入る。則諸第、皆燼せり。乃、夜、重盛の墓にいたりて、まうして曰く、「君豫め、今日あるを知るか。然れども願くは冥護めいごを以て恢復をはかれ」と。旦日墓をあばき、其骨を收めて西し、追ひて福原に至る。宗盛等方に將士を會し、議して曰く、「我が家は惜むに足らざれども、帝王神器を何如せん」と。皆泣きて對へて曰く、「臣等よゝ君恩を受く、隆替を以て