維盛曰く、「未だ來らず」と。宗盛曰く、「亦賴盛の比か」と。
畠山重能乃、畠山重能兄弟を召して曰く、「汝の子弟、武藏にあり。汝盍ぞ東せざる」と。二人對へて曰く、「臣等、平氏の恩を蒙る、此に二十年、危を見て遁るゝは、爲すに忍びず」と。宗盛曰く、「父子相幕ふは、貴賤となく一なり。父西にあり。子東に在りて、以て相殘滅するは、吾が心之を憫む、汝宜しく亟に去りて、賴朝に從ふべし」と。二人泣き辭して東す。
宗盛等關戶に至り、顧みて數百騎の至るを見る。則、維盛なり。其弟右中將資盛、左中將淸經、左小將有盛、侍從忠房、備中守師盛を率ゐて來る。衆大に喜ぶ。維盛曰く、「吾れ妻孥を遺して來る。皆啼哭して我を牽く。吾是を以て後れたり」と。宗盛曰く、「衆皆家を挈ぐ、子何ぞ獨否せざる」と。答へて曰く、「挈げて行くとも、終に庇ふ可けんや」と。相顧みて悽然たり。
經正經正、幼きとき、
仁和寺法親王に仕へ、其愛する所の琵琶を賜ふ。征行と雖も、未だ甞て携へざることなし。是の日、齎し返して、王に謁して曰く、「臣等事已に此に至る。願くは一たび別を
叙でて行くを得ん」と。因りて即席に數曲を
彈ず。王及び左右皆淚垂る。經正曰く、「臣、甞て此賜を守りて、以て子孫に傳へんと欲