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と戰ひ、利あらずして退く。

義仲、進みて叡山に軍す。平氏都を去る宗盛大に族人を召し、議して曰く、「兵すくなし。我れ帝及び法皇を奉じて西國に奔り、以て再擧を圖らんと欲す。何如いかん」と。知盛進みて曰く、「不可なり。我が祖の桓武、實に此都をはじめ、後降りて武臣となる。今に於て八世なり、未だ甞て退き避けず。寧ろこゝに決戰せん。刀折れ、兵盡きて後まん」と。敎盛のりもり經盛つねもり等、皆以て然りと爲す。宗盛聽かず。人をして法皇にいたらしむ。法皇いまさず。宗盛大に收め、火を諸第にはなち、其子右衛門督うゑもんのかみ淸宗きよむね、其弟中納言ちうなごん知盛とももり右中將うちうじやう重衡しげひら、淡路守淸房きよふさ、其義弟ぎてい式部丞しきぶのじやう淸定きよさだ、丹波守淸邦きよくに、其叔父參議さんぎ經盛つねもり、中納言敎盛のりもり、薩摩守忠度たゞのり、經盛の子皇后宮亮くわうごうぐうのすけ經正つねまさ、若狹守經俊つねとし、敎盛の子越前守通經みちつね、能登守敎經のりつね、從五位下業盛なりもり、知盛の子武藏守知章ともあきら、經俊の弟敦盛あつもり、淸房の二弟經俊つねとし良衡よしひら、故基盛もともりの子左馬頭さまのかみ行盛ゆきもり等、及び攝政せつしやう藤原基通もとみち大納言だいなごん平時忠たいらときたゞを率ゐて西す。

賴盛
基通
權大納言ごんだいなごん賴盛よりもり、從ひて後れたり。鳥羽に及ぶ比、赤幟をてゝ東し、法皇にりて伏匿す。基通も亦還り走る。平盛嗣もりつぐ之を追はんと欲す。宗盛曰く、「之をけ。吾れ此不義の人を用ゐる所なし」と。因りて問ひて曰く、「小松中將【小松中將】維盛は何如」と。