帝者の外祖と爲る。復何ぞ遺憾とする所あらん。遺憾とする所のものは、未だ賴朝の頭を睹ずして死するのみ。吾死して後、佛に供するを以て爲る勿れ。誦經を以て爲る勿れ。特賴朝の頭を斬りて、我が墓所に懸けよ。我が子孫臣隷、咸我が言に服して、敢て怠りあること勿れ」と。淸盛薨ず病むこと七日にして薨ず。歲六十四。法皇に遺表す。事必ず宗盛と議し玉へと。
淸盛旣に薨じぬ。宗盛、法皇を法住寺殿に奉還し、奏して曰く、「臣不肖、父の過を救ふ能はず、以て今に至る。今後將に唯聖旨を是れ仰がん」と。法皇乃公卿を會し、兵食を調せんことを議す。重衡、維盛、通盛、忠度等を遣し、美濃に入り、其戍兵を併せ、源行家、源義圓と水を夾みて戰ひ、義圓を斬り、行家を破り、行家の子行賴を虜し、行家を追ひて、參河に至りて還る。