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固く請ふ。聽す。乃美濃、讃岐を獻じて其邑となす。詔して宗盛を以て近畿を總管せしむ。二月、河內の人源義基を斬る。源行家兵を擧げて美濃に至るを聞き、知盛、みち盛、淸經、忠度等を遣して、之を伐たしむ。敵、板倉【板倉】美濃とりでる。我が兵めぐりて其後に出で、火をはなち攻めて之を㧞き、行家を走らす。淸盛又南海の兵をして東兵を控扼せしめ、而してかてを北陸、西海に徵す。西海の菊池氏、緒方をがた氏、皆源氏に應ず。肥後守平貞能さだよし、徃きて之を定めんと請ふ。法皇院廳官ゐんのちやうくわんをして貞能に從はしむ。洲股の戰已にして知盛、洲股すのまたに在りて病おこり、戍を置きて還る。源氏益振ふ。宗盛乃みづから大軍をひきゐて東伐せんと欲す。法皇之を許す。命じて諸武官をべ、官符を以て兵を徵し、日を刻して發せしむ。衆曰く、「此のかう必ず源氏をたひらげん」と。二十七日を以て行を發す。發するにさきだつ一日に、淸盛疾作る。宗盛行を止む。車馬六波羅に集まる。淸盛煩熱を病み、冷水に浴す。水輙く。叫號する聲門外に徹す。閏二月、疾大に篤し。族を擧げて枕を擁し、言はんと欲する所を問ふ。淸盛遺言淸盛大息たいそくして曰く、「生者せいしや必ず死す。何ぞ獨我のみならん。我平治年間より、功を王室に建て、天下を專制し、位人臣を極め、