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得るは、是れ天意てんいと人心との致す所なり。宜しく政を法皇にかへし、基房、師長等を召し還すべし。過を改め善に遷らば、庶幾こひねがはくは免れん」と。淸盛やうやく其言に從ふ。

怪異平氏の家、怪多し。淸盛甞て獨坐す。階下かいかに數百の人頭あり。合して一大頭と爲る。眼をいからして淸盛を視る。淸盛も亦眼を瞋らして之を視る。人頭漸く縮小して滅す。占者曰く、「爲義、義朝等の鬼なり」と。又鼠あり、廐馬の尾にすくふ。占者曰く、「小、大ををかし、うまを犯す。源、平にせまるの兆なり」と。

近江源氏都を復するの月、近江源氏の兵起る。翌月、知盛とももり資盛すけもり等を遣し、兵を將ゐ擊ちて之をたひらぐ。初め園城寺、賴政に黨して重譴を得。ます平氏を怨む。是に至りて、山徒と皆近江源氏に應ず。乃淸房を遣し、園城寺を攻め、燒て之を夷げ、僧八百人を殺す。南都征伐又南都の叛くを聞き、妹尾せのを兼康を遣し赴き攻めしむ。僧徒むかへ擊ちて之を敗る。又木丸ぼくぐわんを造り呼びて、淨海の頭と爲して、之を蹴擊す。淸盛積怒す。是月、重衡を遣し、兵數千騎を率ゐて之を擊ち、東大とうだい興福こうふくの二寺を燒き、僧數百人を殺す。而して諸道の源氏ます興る。

養和元年
高倉上皇崩
養和元年正月、上皇病みて崩ず。淸盛ます悔悟し、政を法皇にかへす。法皇ゆるさず。