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京師に入るを許さずして曰く、「なんぢ王命を奉じて亂賊を討ち、兵を交へずして歸る。何の面目ありて來りて我を見んとするか。軍し利あらざれば、なんしかばねを原野に橫たへざる」と。因りて維盛を流し、忠淸を剄ねんと欲す。衆之を救解して止む。源義仲兵を起す是より先き、源義仲兵を信濃に起す。義仲幼にして孤なり。齋藤實盛取りて之をやしなふ。已にして之を木曾の人中原兼とほに屬す。是に於て宗盛、兼遠を召し、命じてすみやかに義仲を縛して來り獻ぜしむ。兼遠誓書をいたして、かへりて義仲を逐ふ。

是月、上皇再び嚴島いつくしまに幸す。淸盛從ふ。因りて上皇を要して書を作らしめ、源氏をたすけざるをちかふ。旣に還り、宮を夢野【夢野】攝津に造りて、以て法皇を奉ず。淸盛都を遷してより、上下之を苦しむ。山徒も亦しば舊都に復せんことを請ふ。淸盛、諸公卿を會して、兩都いづれ便べんなるを問ふ。公卿皆其むねこひねがひて曰く、「福原便なり」と。藤原長方獨左大辨藤原長方曰く、「平安便なり」と。淸盛色をして入る。衆長方の爲に之を危ぶむ。都を平安に復す已にして、淸盛即三宮以下を奉じて、都を平安に復す。衆大に悅ぶ。時に十一月なり。或人長方に問ひて曰く、「子何を以て能く相國にたがふか」と。答へて曰く、「悔ゆる心無からしめば、何ぞ人に問はんや。我因りて之をみちびきしのみ」と。淸盛もとより長方を重んず。是より先き、長方議を朝に建てゝ曰く、「亂人志を