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ことをん。陛下、乃、源氏をかばふこと莫からんや」と。上皇わらひて曰く、「猶此言を爲すか」と。即宣旨を賜ふ。因りて「大將を誰に屬すべし」と問ふ。曰く、「臣が嫡孫ちやくそん維盛可なり」と。

維盛追討使即ち維盛これもりに命ず。右近衛中將を以て、追討使と爲し、而して忠のり之をたすく。高祖正盛、源義親よしちかを伐ちし故事こじを用ゐて、驛鈴えきれいを賜ふ。五千騎に將として、福原を發す。齋藤實盛さねもり、東事を諳ずるを以て嚮導きやうだうとし、行々兵ををさめて、駿河に至る。實盛曰く、「宜しく急に足柄あしがらえ武藏、相摸の兵を收むべし」と。藤原忠淸曰く、「今我が兵は皆京畿の新募しんぼなり、これを以て深く入る、未だ其可を見ず」と。維盛之に從ふ。實盛乃辭して西す。維盛曰く、「實盛無きも、吾なんぞ戰ふ能はざらんや」と。富士河陣忠淸を以て先鋒となし、進みて、富士河ふぢがはに軍す。此時に當りて、畠山重忠以下、皆賴朝にき、二十萬歸を以て、河東に至る。使者をして來りて書をおくらしむ。謾言多し。忠淸、維盛に勸めて、其使者を斬らしむ。相持して未だ戰はず。我が軍夜水禽みづとりたつを聞き、相驚きて以て敵大に至るとなし、人馬相踏藉して走る。維盛怒りて留り戰はんと欲す。忠淸固く諫む。乃西に歸る。平明、源氏の軍乃之を知り、一將をして來り追はしむ。伊藤某、殿戰して死す。維盛歸りて近江に至る。淸盛其