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ぞ盜にかぎしゝに異ならんや」と。切齒せつしすること之を久くして曰く、「さきに吾をして池尼の請ひをゆるさゞらしめば、彼れいづくんぞ首領を保つを得んや。恩を忘れ利をはかりて、敢て我が子孫に敵す。其れ能く神明の罰を免れんや」と。重忠の父重能、弟有重と、福原にあり。進みて曰く、「東人獨、北條ほうでう時政、賴朝と婚す【時政賴朝と婚す】時政、女政子を以て賴朝に妻はす。其れ或は之に附かん。其他豈あへ流人るにんくみせんや。君、意と爲すなかれ」と。平氏の子弟、人々奮ひて東伐を願ふ。

淸盛宮に入て賴朝追討の勅を請ふ淸盛れんして入り、上皇にまみえて曰く、「陛下妙齡めうれい盖し未だ知るに及ばざるのみ。往時さき爲義ためよし義朝よしともと云ひし者あり、敢て凶逆を行ひて、法皇に敵せんと欲せしを、臣謀略を以て之を誅夷せり。而して義朝の少子に賴朝と云ふ者あり。此の豎子じゆし伊吹岳いぶきやまふもとに獲たり。まさらんとするとき、臣の繼母けいぼ爲に之を宥さんことを請ふ。臣、即召して之を見る。十三歲といふ。短身𣵀齒てつし、問ふこと有れば輙知らずと答へぬ。臣其幼稚えうちあはれみ、且自おもふ、源氏と宿怨しゆくゑんあるにあらず。たゞ君命を以てせしのみと。遂に之をゆるしき。今其配所に在りて、敢て不良を謀ると聞く。臣悔いうらむに堪へず。請ふ宣旨を得て之を討たん」と。上皇【上皇】高倉曰く、「法皇【法皇】後白河へ」と。答へて曰く、「主上はいとけなし、陛下は親父なり。决、聖斷に在り。何ぞたゞちに法皇に