福原に遷都淸盛、常に福原を愛し、又島を其南に築きて、以て漕運に便にし、終に都を遷さんと欲す。六月遂に意を决して、帝、三宮、百官を趣して徙らしめ、帝を賴盛の第に奉じ、遂に之を己が第に徙し、兵をして法皇を守らしめ、宮城を建つるを議す。地狹くして建つ可からず。乃權に造る。物議囂然たり。
賴朝兵を擧ぐ八月、源賴朝、
以仁王の令を奉じて、兵を伊豆に擧ぐ。相摸の人
大庭景親擊ちて之を走らす。武藏の人畠山重忠、又擊ちて其黨三浦氏を破る。景親急騎にて
捷を報ず。且曰く、「賴朝走り死す」と。已にして東人
交々來りて、「賴朝未だ死せず、兵復振ふ」と吿ぐ。淸盛大に怒りて曰く、「其國の奴輩は、皆彼が父祖の
家人。而るに我れ彼れを東國に流す。是れ彼をして、
胥けて我家を
滅さしむるなり。何