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此一帖。文明の比。妙禪院へ後成恩寺かきてまいらせられ侍る本のまゝうつして。一臺へまいらするものなり。

于時大永六年八月廿二日 兎園叟邦高親王

右小夜のねさめ以橫田茂語藏本書寫以承應二年印本及扶桑拾葉集挍合畢按妙禪院者從一位富子常德院殿母儀慈照院殿御臺日野贈內大臣重政公息女也系圖禪作善

文明一統記

後成恩寺關白兼良公


一八幡大菩薩に御祈念あるべき事。

其御祈念有べきことは。賤くも我身征夷將軍の職を蒙りておほやけの御かた也。日本國中六十六ケ國を治べき仰をうけ給ることは。前世の宿習といひながら。父母二親の御恩也。但天下を治。すなをなる世にかへさずむば。其職に有ても詮なかるべし。ねがはくは八幡大菩薩の御はからひとして威勢を加へせしめ給へと。かくのごとく威勢の事を祈申は。またく我身思さまにふるまはん爲にはあらず。此十餘年。公家武家を始として僧俗男女に至まで。一所懸命の地を人に奪れ。憂悲苦惱をするを見てける。餘に不便におぼゆる故に。威勢だにもあらば道を道に行んと思ふによりて。ひとへに御神の冥慮をあふぐもの也。諸國の守護たる人の心向。いかにも穩便