る。いと有難き事也。今申たる事はみなかしこき文どものむねをかなにかきなし侍れば。聊も私の言葉はなき也。又權道とて世にひがごとなる樣なることの終に道理になることのあるにや。弓矢とる人は約といふ事のかたく侍るべきとぞ承りし。承久の亂の時院宣の御うけ文にも。武士は約を變ぜぬよしをこそ義時朝臣もかゝれたりし。唐國には盟と申て。牛の血をのみて起請などのやうに契約せし也。今も一揆など申はかやうなること侍にや。大かた君子は比せずとて。よき人は黨をたつること有まじき也。唐國にも國のみだれたりし時より牛の血などをものみけるにや。三皇五帝などの世にはさることもあらじとぞ覺侍る。たゞうへをのみあふぎて。私の一揆などはなきこそよき事なれ。小人は比すと申て。わろきもののあつまりてたうをたてゝ。よきことをも申やぶりなどすることは返々あしきことなり。盟と申侍るもたゞ合戰の時のわざにてあれば。今もさやうの時は一きもさもありぬべきこと也。さしたる事もなき時。私の契約は詮なき事にぞおぼゆる。抑近き比。波風さはがしかりしあきつしまのうち。今は人の國までおさまりて。ゐながらとをきをしたがへ給ふ時になりぬ。彼漢高三尺のつるぎも是にはしかじとぞおぼゆる。すゑの世には今の時をこそ又めでたきためしにもひき侍るべければ。いよ〳〵かしこき御政もあれかしと。今老のあらましにはし侍る。あまのさえづりとかやのやうにはじめもはてもなきことを申侍る也。小夜のねざめに思のこさぬふし〴〵をあかつきの燈のかすかなる閨におきゐてかきつけ侍るなり。
