Page:Gunshoruiju27.djvu/188

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たぶことはなし。すゑおもきものは必おるとて。根よりも枝葉のかちたることは常にはわろきことに申侍れば。かまへて上に下のまさる事侍るまじき事にや。いくらも申たきことは侍れども。まづさしあたることはこれらにて侍る也。又もろの道をよくあきらめ給べき也。男はいかほども稽古才學あらん人。僧はいかほども戒行淸淨にて驗有てたうとからん人。其外は詩歌管弦にいたるまでも。一道の堪能ならん人をばまことにめぐみ給ふべきにや。さてこそ人も稽古をし。みなもろの道もおこる事にて侍れ。さても人のよしあしはいかなるをさだめ申べきにか。をろかなる心にはわきまへがたく侍れど。唐の文五經三史などをはじめとして。聖人だちのかきをかれたる物には皆人のよしあしを手をとりてをしへ侍る也。今さらことあたらしき事なれども。かの文などをみざらん人のためはかなき女房おさなき人などのために申侍る也。まづ人の本とは聖人を申也。是は獸にたとへば麒麟。鳥にたとへば鳳凰のごとし。すべて世に出ることのかたく侍るごとくに。今はさる人も有まじければ。中々こまやかに申てもせむなし。堯舜夏禹殷湯文王武王周公旦孔子などよりほかは。まさしき聖人と世にもゆるし人も用たる事なければ。をろかなる言葉にてとかく申べきにあらず。我國にも聖德太子大師だちなどをやさも申べからん。此聖人と申程の人は。萬かけたることなくて天地と心ざしをひとしくし。日月に德をならべたるほどの事なれば。とかく申に及ばず。只よのつねは。まづ賢人君子の分際をこそよき人とは申侍らめ。それだに今は有まじきこそ無念に覺侍れ。賢人君子などの位になる程の人は