Page:Gunshoruiju27.djvu/187

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よのつねになきことなれば申に及ばず。上をかろくしをのれをさきとするたぐひのみ多く侍るにや。大かた恩を思はざるは烏獸にをとり侍るとぞ申。心なきたぐひ猶恩を報ずることおほし。人としていかでか思ひしらざること有べき。昔韓信といひし人わかくてはあさましくまづしかりしかば。釣などをもしけるにや。浦人の家へ行たりけるに。うへにのぞみ給へるにやとて。さまもてなしたりけるに。此韓信後に御門にめし出されて。國の管領などになりて。此浦人の家に行て。色々の寶物をもたせて。昔の心ざしを報ぜむと申けるに。浦人申けるは。たゞまづしきをあはれみ奉りしにこそあれ。かならず恩を報ぜられ侍るべしとはさら思はずとて。寶ものをもみなかへしてとらざりけり。韓信も一度のもてなしをむくひけるもやさしく。又浦人の志も誠に有がたきためしにぞ申つたへたる。一飯もかならずむくふといふことはこれより申侍るとこそ。此比のやうは。我身のかなしき折は手ずりあしずりして。そのことやみぬれば。やがてあくる日よりさることのありしとだに思ひ侍らぬこといと心うきわざ也。もとより心もあり。世になれたる人などはさることあるまじけれど。人にもまじらぬやうなるものの俄にいみじくなりぬれば。やがて心をごりせらるゝ事にぞ侍にや。されば虞舜は始は民にて有しが。御門の位につきたるイ後も。たゞもとの民の心を失はで。世をもめぐみ人をもおそれ。やすけれどもあやうきを忘れぬとこそ申侍れ。當時の人はやがてをごり心地侍るこそかへすもせむなくおぼゆれ。大かた唐國にも大臣公卿以下さだまりてその位にあたりたる祿のあれば。さのみ法をこえて朝恩など