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候。それぞおほきなる御忠にて候べき也。いかにもいかにも我御身の咎を聞せ給へ。過をきかずして國土を治んとするは。病をいとひて藥をにくむがごとくの事と承候なり。咎をきくには色代せざらん忠
正月
文 覺
鎌倉殿
御返事
賴朝佐々木ニ被㆑下狀。
建久二年辛亥潤十二月廿三日丁卯。佐々木小次郞兵衞尉定重。依㆓山門訴㆒被㆑處㆑流‐㆓刑對馬嶋㆒之處。不慮鬪諍出來被㆓殺害㆒之由。今日有㆓其說㆒。幕下被㆓聞食㆒驚
廿八日壬申。佐々木小次郞兵衞尉定重橫死事。流言不㆑及㆓三度㆒。然而非㆑無㆓其疑㆒。依㆑難㆓默止㆒。今日爲㆓御訪㆒被㆑遣㆓委細御書於父左衞門尉定綱許㆒云々。未㆑趣㆓配國㆒。
次郞兵衞事。まことしくは思召ね共。世のなら