Page:Gunshoruiju27.djvu/153

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分限ほど少取き。ケ樣にては。何としてか御後見をもすべきとて。二位家よりも諫られしかども。今までは聊も不足とおもふ事もなし。如此萬小欲に振舞し故やらん。天下日々に隨て治。諸國年を逐て安穩也。孝のよろしきを見るはしげく。訴のゆがめるを聞はすくなし。是一筋に此上人の恩言によるなりとて。淚をぞ拭ひ給ける。此大守の前に。訴論人番て來望には對面し給て。しばしつくと兩人の面を守て被命云。泰時天下の政を官て。人の心に姧曲なからん事を存。然に今爭ひ來らるゝ二人の中に。一方は必定姧曲なるべし。廉直の中に論有事なし。來[訴歟]の日。兩方文書を持來らるべし。常日に正して。姧謀の仁においては。則其輕重に隨て。忽に死罪にも流罪にも申行べし。姧智の者一人國にあれば。万人に禍を及す失有。天下の歎何事か是にしくべき。とく歸給べしとて立れける。此躰を見るに。頓ていかなるめにも合せられぬべし。益なしとて各歸りて後。兩方云合て。或は和議し。或はひがごとの有方は私に負て。論所をも去渡けり。無欲なる躰を振舞人をば。其感じ賞し。欲がましき者に向ては。或はいかりていましめ行ひ給しかば。人々いかにもして。無欲に尋常なる事し出して聞え奉らんとのみ。遠き堺も近き所も。心をひとつにして勵しかば。人の物掠とらん奪とらんとする訴は。絕てなかりき。さるに付ては。國々穩におさまりて政囂しからず。寬喜後堀河元年天下飢饉なりし時は。鎌倉京を初て諸國の富る者に。我所負主に成て委狀をかゝせ。判をくはへて米を惜て。其所其郡其鄕村々。餓死せんとする者の所望に隨て。むらなく惜給ひにけり。來々年中に世立なをらば。本物計慥に返納すべし。利分はわが方よ