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Page:Gunshoruiju18.djvu/732

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  旅宿郭公

 いさといひて都のつとに草枕さそはまほしき子規かな

  江上眺望

 漕かヘり入江の船の夕波にさかひしらるゝをのかうら

  寄杣木但この歌宗碩に遺會書之了。

 みや木引聲に答ふる山ひこも我うちわひてなくはしらすや

五月朔日。光瑱といふもの連歌興行すベきよししきりに申侍しかば。光明院にて一座ありしに。

 濱松何路の名にやこたへしほとゝきす

 みしか夜おしき浦なみのこゑ

 すゝしきを光に月は秋立て

二日。堺をたちてすみよしにまうでて。御神樂まいらせておもひつゞけし。

 神も又まつとしそ思ふすみのえや立返るけふの浪の白ゆふ

天王寺にまうでて。いさゝか心ざしの御あかしなど又たてまつらせ侍りし龜井の水にて。

 後前の契りもしるしむすひあくる龜井の水の深き心は

西門の念佛堂にて。武庫山出現の彌陀三尊。太子の御筆いまに儼然たり。もろこしよりわたせる善導大師等身の御影もこのところに眼精誠生身にむかへるがごとし。此堂になむ西行法師が座もありけるとかや。一とせの地震にくだけうせぬるよしこたへ侍り。あはれなる事也。此本尊しづかに拜見して。

 うつしとめてやみをそ照す玉はやすむこの山より出し光は

爰にて堺よりの衆みないとまごひし侍りしを。なをかう津といふところまでをのしたひまうでて。かしこにて光明院ひるのかれいひなどまうけて。これよりかへられ侍りき。渡邊より能勢源五郞輿馬などむかへにをこせてこゝより船にのりうつりて漕出るほど。能因法しが雲ゐにみゆる伊駒山もおもひいでられ侍り。樓の岸などいふもこゝといふ所なり。大江殿のあととて今も松のみどりにみえ侍