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Page:Gunshoruiju18.djvu/733

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り。

 名にたてるその世のまゝか尋はや大江の松のしる人も哉

ながらのわたりすぎぬる程。心地わびしくてたづねもみず。過てのちなむかし。そこと申せしかば。

 橋柱ふりぬる跡もとふへきを過しなからにそれと見さりき

暮かゝるほど芥川の善住寺といふ所の塔頭につきて。明る日出たちしに。雨ふりていとわびし。水無瀨にまかり御影堂に參りて。しばらく念誦して。それより都へをもむきて。さるのをはりばかりにこの蓬屋にかへりつきぬ。


吉野詣記

稱名院右府公條公


いにし年の秋。はからずとしごろふしなれたるとこはなれて。いくベき心ちもなくて。あはれ修行にも出たちなばやとおもひつゝとかくまぎれしに。紹巴とてつくばの道に心ざしふかくて。このごろみやこのすまゐし侍りて。よるひるきとぶらひけり。しかも敷嶋のやまとの國まで。みちたどしからず。芳野のはなみるべきよしいざなひけり。さらばとて人々にいひふるゝこともなくて。むげにかほしらぬ人宗見といふ人ひとりをめしつれ。ことし天文廿二年二月廿三日のあした。ひそかに都を出侍るとておもひつゞけゝる。

 名殘おもふ妹脊にあへる道やあると吉野の奧を尋てそとふ

鳥羽よりみつのみまきにまかりけるに。近きとし水のうれへにたへかね。堤塘をきづくとて。はるとしわたしたる。けふもいと