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Page:Gunshoruiju18.djvu/493

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民にいたるまで。そのもとをうしなはず。あまねく又人の患をことはり。おもき罪をもなだめけり。國民擧りて其德政を忍ぶ。故に召公去にし跡までも。彼木を敬て敢てきらず。うたをなんつくりけり。後三條七十一代天皇東宮にておはしましけるに。學士實政任國に赴く時。州の民はたとひ甘棠の詠をなすとも忘るゝことなかれ。おほくの年の風月の遊びといふ御製をたまはせたりけるも此こゝろにや有けん。いみじくかたじけなし。かの前の司も此召公の跡を追て人をはぐくみ物を憐むあまり。道のほ とりの往還のまでも思ひよりて植をかれたる柳なれば。これを見む輩皆かの召公を忍びけん。國の民のごとくにおしみそだてて。行すゑのかげとたのまむこと。その本意はさだめてたがはじとこそおぼゆれ。

 植置しぬしなき跡の柳はら猶その陰を人やたのまん

豐河と云宿の前をうち過るに。ある者のいふをきけば。此みちをば昔よりよぐるかたなかりし程に。近比より俄にわたふ津の今道と云かたに旅人おほくかゝる間。いまはその宿は人の家居をさへ外にのみうつすなどぞいふなる。ふるきをすててあたらしきにつくならひ。さだまれることといひながら。いかなるゆへならんとおぼつかなし。昔より住つきたる里人の今更ゐうかれんこそ。かの伏見の里ならねども。あれまくおしく覺ゆれ。《古今雜下 よみ人しらす いさこゝにわか世はへなんすかはらやふしみの里のあれまくもおし》

 覺束ないさ豐河のかはる瀨をいかなる人のわたりそめけん

參河遠江のさかひに高師の山と聞ゆるあり。山中にこえかゝるほどに。谷河のながれ落て岩瀨の波ことしくきこゆ。境川とぞ云。

 夫木岩つたひ駒うち渡す谷川の音もたかしの山にきにけり

橋本と云所に行つきぬれば。きゝわたりしかひありてけしきいと心すごし。南には潮海あ