Page:Gunshoruiju18.djvu/476

提供:Wikisource
このページは校正済みです

地にあり。彌陀うとき佛にいまさずみづからが本有の眞性にあり。獄卒しらぬ鬼にあらずみづからが所感の業胤にあり。雪つもりて山をなす春の日にあたればきえてのこらず。金くだけて灰にまじる水に入て汰はうする事なし。罪雪ならば善心あらはれぬべし。まよへる時は目をふさぎてわが身をだにも見ず。さとるときは眼をひらいて人の躰をみる。障子をへだてゝあなたは十萬億土とおもへども。ひきあけたればたゞ一間のうちなり。佛性の水煩惱の風に氷れども。おもひとけば水とは誰かしらざらん。貧とも嗟べからず。電泡の身にいくばくのなげきぞや。たのしめどもおごるべからず。幻化の世にはいくばくのあやまりぞや。たのしみは大憍慢のあだなり。あだはすなはち惡趣に引おとす。貧は又道心のさまたげならず則善所に引あげ。たのしみは先生の怨敵なり。貧着身をしばりて四生の牢獄にこむ。貧は今生の智識なり。愛欲心をゆるして三界の樊籠を出す。此故に世をいとふ人は沙門となづけてたのしめる人とす。我等八苦のやまひはおもけれども念佛のくすりにいへぬべし。名利の敵はうかゞふとも非人の身を敵とせじ。上界天人の快樂もこゝろにくからず。過去生々にいくたびかうけたる。國王大臣の果報もうらやましからず。流來世々のいくたびか得たる。六趣の栖はうとみはてたるところなり。九品のみやこぞいまだ見ねば戀しけれ。こひしくばたれか參らざるべき。たま人身をうけたるは梵天の糸に針をつけえたる時なり。佛法の敎木龜眼の語に信じ得る時なり。これだにもありがたしと思はゞ。十方佛土に又ふたつなき一乘妙法に生れあひて。十惡をうとまず引接をたれたまふ阿彌陀佛を念じ