Page:Gunshoruiju18.djvu/410

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も。その事はひとつかなはでやみぬ。たゞかなしげ也とみし鏡のかげのみたがはぬ。哀に心うし。かうのみ心にもののかなふ方なうてやみぬる人なれば。くどくもつくらずなどしてたゞよふ。さすがにいのちは憂にもたえずながらふめれど。後の世もおもふにかなはずぞあらんかしとぞうしろめたきに。たのむ事ひとつぞ有ける。天喜三年十月十三日の夜の夢に。ゐたる所のやのつまのにはに阿彌陀佛たち玉へり。さだかには見えたまはず。霧ひとへへだたれるやうにすきて見え玉ふを。せめてたえまに見奉つれば。蓮花の座のつちをあがりたるたかさ三四尺。ほとけの御たけ六尺ばかりにて。金色にひかりかゞやき玉ひて。御手かたつかたをばひろげたるやうに。いまかたつかたにはゐんをつくり玉ひたるを。こと人のめにはみつけ奉つらず。我一人見たてまつりて。さすがにいみじくけおそろしければ。すだれのもとちかくよりてもえ見奉つらねば。佛さはこのたびは。歸て後むかへにこんとの給ふ聲。わがみゝひとつにき[こえイ]いて。人はえきゝつけずとみるに。うちおどろきたれば。十四日なり。この夢ばかりぞ後のたのみとしけるを。ひともなどひと所にて朝夕見るに。かう哀にかなしきことの後は。所々になりなどして。誰もみゆることかたうあるに。いとくらい夜。六はら[らうイ]にあ[たイ]るをいのきたるに。めづらしうおぼえて。

 月も出てやみにくれたるをはすてに何とて今宵尋きつらん

とぞいはれにける。ねむごろにかたらふ人のかうて後音づれぬに。

 今は世にあらし物とや思ふらん哀なくなをこそはふれ

十月ばかり。月のいみじうあかきをなくながめて。