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Page:Gunshoruiju18.djvu/411

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 ひまもなき泪に曇る心にもあかしとみゆる月の影哉

年月はすぎかはりゆけど。夢のやうなりしほどを思ひいづれば。心ちもまどひ。めもかきくらすやうなれば。其ほどの事はまたさだかにもおぼえず。人々はみなほかにすみあかれて。古鄕にひとりいみじう心ぼそくかなしくて。ながめあかしわびて。ひさしう音づれぬ人に。

 しけり行蓬か露にそほちつゝ人にとはれぬ音をのみそなく

あまなる人也。

 世の常の宿のよもきに思ひやれそむきはてたる庭の草むら


ひたちのかみすがはらのたかすゑのむすめの日記也。母倫寧朝臣女。傅のとののはゝうへのめいなり。よはのねざめ。みづのはままつ。みづからくゆる。あさくらなどは。この日記の人のつくられたるとぞ。

孝標。〈右中弁從四位上資忠朝臣一男。〉

長保二年正月廿七日補藏人〈元春宮藏人右衞門大尉使。〉三年正月廿四日叙爵。寬仁元年正月廿四日任上總介〈四十五。〉五年正月得替。〈四十九。〉長元五年二月八日任常陸介。七月赴任。正五下。〈六十。〉

橘俊通。〈但馬守爲義四男。母讃岐守大江淸通女。〉

治安三年四月廿日昇殿左衞門尉。〈元帶刀長。〉萬壽四年三月三日使宣旨。長元四年十一月廿一日補藏人。五年正月七日叙爵。〈卅一。〉長久二年正月廿五日下野守藏人使巡。〈四十。〉天喜五年七月卅曰任信濃守〈從五位下。任中。〉康平元年十月五日卒。〈五十七。〉

參議從二位勘解由長官源朝臣資通。〈贈從三位正四位上修理大夫濟政一男。〉

長和五年正月十二日大膳亮。〈祖父大納言二合。〉寬仁四年正月九日藏人。〈十六。〉正月廿四日左衞