喪失、患者作業による後遺症の発生等) についても、個々の原告による差異が著しく、これを共通損害として、本件の賠償の対象とすることはできない。
原告らが社会の中で平穏に生活する権利の中の主要なものとして取り上げる隔離による被害については、確かに、入所時期及び入所期間か、各原告によって異なっている上、既に検討したとおり、その時期によって、隔離による自由の制限の程度や入所者に対する処遇内容にも大きな差があり、単純に入所期間の長短のみによって、隔離による被害の程度を評価することはできない。しかしながら、隔離による被害については、時期を特定すれば、一定の共通性を見いだすことが可能であり、各療養所における取扱いの違い等、個々の原告間の被害の程度の差異については、より被害の小さいケースを念頭に置いて控え目に損害額を算定する限り、被告に不利益を及ぼすものではない。
原告らは、入所時期、入所期間、入所の形態、入所時の症状、入所動機等はそれぞれ異なるが、いずれも、隔離の必要性が失われた昭和三五年以降に入所していた経験を持つ者であり、その入所期間中に新法一五条による自由の制約下に置かれていた点では共通しているのであるから、これを共通損害として見るのが相当である。
また、原告らは、社会から差別・偏見を受けたことによる精神的損害を、スティグマによる被害 (烙印付け被害) あるいはその一部として、共通損害である社会の中で平穏に生活する権利の中に含ませている。この点、ハンセン病に対する誤った社会認識 (偏見) により、原告らが社会の人々から様々な差別的扱いを受けたことそのものを賠償の対象とすべきものではなく、そのような地位に置かれてきたことによる精神的損害を被害としてとらえるべきであり、これにも、一定の共通性を見いだすことができる。原告らの中には、発病が発覚して以来ずっと入所しており、差別偏見を恐れてほとんど外出しなかった者、退所し、周囲の者に元入所者であることをひた隠しにしてきた者、故郷に帰ったため周囲からの激しい差別・偏見にさらされてきた者、後遺症があるため元入所者であることを隠すことができず、ずっと病毒を有しているように誤解されてきた者等、様々な者がいるが、ここでも、このような差異があることを念頭に置いて、控え目に損害額を算定する限り、これを共通損害としてとらえることが可能である。なお、ハンセン病に対する社会的な差別・偏見は、古来より存在していたものであり、被告の行為のみによって生じたものではない。このことも、慰謝料の算定上は十分考慮すべきである。
ところで、この二つの共通損害は、互いに密接に結び付くものである。すなわち、隔離による被害は、入所者にのみ認められるものであるが、入所者の退所を妨げる要因は、法的制約のみではなく、社会内の差別・偏見の存在も大きく、とりわけ、退所の制限が緩やかになった昭和五〇年代以降においては、むしろ、後者の要因が主であるといえる。したがって、入所者の被害については、この二つの共通損害を別々に金銭評価するのではなく、これらを包括して、社会内で平穏に生活することを妨げられた被害としてとらえるのが相当である。
三 右の二つ以外を共通損害としてとらえることはできないが、以下、これに関係するものとして、優生政策と患者作業の位置付けについて検討する。
優生政策については、前記第二節第三の五で述べたが、これに関する被告の主張を見る。
被告は、一般に国立療養所において入所者同士が結婚し子供を持てないのは当然のことであり、その反面、退所すれば子供を持つことに何らの制限もないし、もとより、在宅患者は断種手術などだれからも要請されることもないのであるから、療養所では子供は持てないとか、ハンセン病患者は子供は持てないと考えていたという問題は、入所者に退所の自由があったのかどうかの問題であって、これを優生政策と結び付けるのは、明らかな論理の飛躍であると主張する。
しかしながら、被告は、少なくとも、原告らの大半が入所した昭和三〇年代以前においては、退所させることをほとんど念頭に置かないで、患者を隔離してきたのであり、患者らは、いったん入所すると、家族や社会と切り離され、療養所外の生活基盤を失い、退所することが極めて困難な状況に置かれ、その結果、多くの入所者が、療養所を生涯のすみかとして暮らさざるを得ず、現実に、入所者の大半が、退所することなく、生涯を療養所で過ごしているのである。したがって、国立らい療養所とそれ以外の一般の国立療養所とでは、入所者の置かれた状況が全く異なっているのであり、これを同列に見る被告の右主張は失当である。昭和三〇年代まで、優生手術を受けることを夫婦舎への入居の条件としていた療養所があったが、これなどは、事実上優生手術を強制する非人道的取扱いというほかない。被告の右主張は、入所者らの置かれた状況や優生政策による苦痛を全く理解しないものといわざるを得ず、極めて遺憾である。
優生政策による被害を退所者をも含めた意味で、前記二の別個独立の共通損害として評価することはできないが、隔離による被害を評価する上での背景的事情として見ることとする。
患者作業による被害についても、すべての原告が従事していたわけではないので、右1と同様、隔離による被害を評価する上での背景的事情として見るにとどめることとする。
第四 損害額の算定 (なお、原告二五番、同二六番、同四二番については、後記第六節において検討する。)
一 慰謝料の算定は、次のとおりとする。
1 原告らの被害発生の始期は、ハンセン病発病時ということもできないではないが、原告らの発病から入所までの状況は様々であり、また、原告のほとんどが、発病の発覚後間もなく入所していることから、本件訴訟では、入所前の被害については共通損害として取り扱わない。
2 昭和三四年以前においても、個々の患者 (特に、神経らい患者) を取り上げてみたときには、隔離の必要性を欠く違法な隔離により損害を被ったということもあり得るが、この点に着目した立証・反証はなされていないことから、昭和三四年以前の被害は共通損害の対象としない。
3 入所時期及び入所期間以外の個別的事情を損害評価の基礎とすることを明確に位置付けてこなかった本件訴訟の経過から、右個別的事情の有無によって慰謝料額に差を設けることはせず、入所の形態、入所時の病状、入所動機等に様々な個別的事情があることを念頭に置いて、慰謝料の算定を控え目にすることとする。
4 隔離による被害自体は、年々軽減されていき、特に、昭和五〇年代以降は、右被害が著しく後退していった。また、入所者の処遇は次第に改善されており、特に、昭和五〇年代以降顕著である。
このことを踏まえて、共通損害全体を年代ごとに段階的に評価するのが相当である。
また、昭和五〇年以降においては、隔離による被害の著しい後退と処遇改善を考慮し、入所の有無及び期間によって、慰謝料額に差を設けないこととする。
5 慰謝料算定に当たっては、①まず、昭和三五年以前から入所し新法廃止まで退所を経験していない原告の基準額を考え、②それより入所時期が遅い者は、共通損害のない昭和三五年から入所時までの期間部分の慰謝料を①から減額し、③昭和三五年から昭和四九年までの一五年間に退所していた期間がある者については、当該期間に係る隔離による被害部分の慰謝料を①から減額するという考え方によることとする。
6 廃止法二条は、国は、療養所において、同法施行 (平成八年四月一日) の際現に療養所に入所している者であって、引き続き入所する者に対して、必要な療養を行うものとしている
また、廃止法三条一項は、療養所長は、同法施行の際現に療養所に入所していた者であって同法施行後に療養所を退所した者又は同法施行前に療養所に入所していた者であって同法施行の際現に療養所に入所していないものが、必要な療養を受けるため、療養所への入所を希望したときは、入所させないことについて正当な理由がある場合を除き、療養所に入所させるものとし、同条二項は、国は、前項の規定により入所した者に対して、必要な療養を行うものとするとしている。
このように、療養所の入所者及び元入所者には、療養所で療養を受ける権利が保障されており、このことを慰謝料の減額事由として評価する。
7 以上を踏まえて、慰謝料額を次のとおりとする。
㈠ 初回入所時期が昭和三五年以前で、退所を経験していない原告
一四〇〇万円
㈡ 初回入所時期が昭和三五年以前で、退所を経験している原告について
⑴ 昭和三五年から昭和四九年までの一五年間の退所期間 (ただし、昭和三五年から昭和三九年までの五年間は二倍に換算する。以下「換算退所期間」という。) が、二年未満の者。
一四〇〇万円
⑵ 換算退所期間が、二年以上一〇年未満の者 (原告二一番、同一六番、同二七番、同二九番、同三〇番、同四四番、同五一番、同六六番、同九八番、同一二〇番、 同一二一番、同一二三番)
一二〇〇万円
⑶ 換算退所期間が、一〇年以上一八年未満の者 (原告二八番、同三一番、同四五番、同五六番、同六二番、同七九番、同一一五番)
一〇〇〇万円
⑷ 換算退所期間が、一八年以上の者 (原告一〇番、同三七番、同九四番)
八〇〇万円
㈢ 初回入所期間が昭和三六年から昭和三七年までの原告
⑴ 昭和四九年以前に退所を経験していない者 (原告一四番、同六三番、同七二番、同一〇五番、同一〇六番)
一二〇〇万円
⑵ 原告七番
退所期間を考慮し、一〇〇〇万円
㈣ 初回入所時期が昭和四三年から昭和四五年までの原告四〇番、同五五番、同一二六番
一〇〇〇万円
㈤ 初回入所時期が昭和四八年の原告一一番
八〇〇万円
以上の基準に従い、原告らに対する慰謝料額を別紙八のとおりとする。
二 弁護士費用
各原告につき、別紙八の慰謝料額の一割とする。
三 なお、慰謝料額の算定について補足する。
本件で慰謝料額が最高でも一四〇〇万円にとどまっているのは、原告らが選択した包括一律請求によるところが大きいが、それだけではなく、新法廃止前の処遇改善努力や新法廃止後の処遇の維持・継続を十分に評価した結果である。
したがって、本判決が、廃止法二条、三条による処遇の在り方を左右するような法的根拠となるものでないことは明らかである。
第六節 戦後、本土復帰前の沖縄について
第一 本件では、昭和三五年以降の被害を賠償の対象とするものであるが、同年から昭和四七年五月一五日の沖縄の本土復帰までの間、米国統治下の沖縄に居住し、沖縄愛楽園又は宮古南静園に入所していた経験を持つ原告 (原告二五番、同二六番、同四二番)について、以下検討する。
第二 米国統治下におけるハンセン病の法制等
戦後、米国統治下にあった沖縄では、形式的には旧法が存続し、隔離政策が継続されたが、昭和三六年八月ニ六日、ハンセン氏病予防法が公布施行された。
このハンセン氏病予防法は、退所又は退院 (七条) 及び在宅治療制度 (八条) の規定が設けられた以外は、新法とほぼ同内容のものであった。同法七条及び八条の規定