のものではなく、公共の福祉による合理的な制限を受ける。しかしながら、前述した患者の隔離がもたらす影響の重大性にかんがみれば、これを認めるには最大限の慎重さをもって臨むべきであり、伝染予防のために患者の隔離以外に適当な方法がない場合でなければならず、しかも、極めて限られた特殊な疾病にのみ許されるべきものである。
三 これを本件についてみるに、前記第三節第二の一で指摘した新法制定当時の事情、特に、ハンセン病が感染し発病に至るおそれが極めて低いものであること及びこのことに対する医学関係者の認識、我が国のハンセン病の蔓延状況、ハンセン病に著効を示すプロミンの登場によって、ハンセン病が十分に治療が可能な病気となり、不治の悲惨な病気であるとの観念はもはや妥当しなくなっていたことなど、当時のハンセン病医学の状況等に照らせば、新法の隔離規定は、新法制定当時から既に、ハンセン病予防上の必要を超えて過度な人権の制限を課すものであり、公共の福祉による合理的な制限を逸脱していたというべきである。
そして、さらに、前記第三節第二の二で指摘した新法制定以降の事情、特に、昭和三〇年代前半までには、プロミン等スルフォン剤に対する国内外での評価が確定的なものになり、また、現実にも、スルフォン剤の登場以降、我が国において進行性の重症患者が激減していたこと、昭和三〇年から昭和三五年にかけても新発見患者数の顕著な減少が見られたこと、昭和三一年のローマ会議、昭和三三年の第七回国際らい会議 (東京) 及び昭和三四年のWHO第二回らい専門委員会などのハンセン病に関する国際会議の動向などからすれば、遅くとも昭和三五年には、新法の隔離規定は、その合理性を支える根拠を全く欠く状況に至っており、その違憲性は明白となっていたというべきである。
第三 立法行為の国家賠償法上の違法性及び故意・過失の有無について
一 ある法律が違憲であっても、直ちに、これを制定した国会議員の立法行為ないしこれを改廃しなかった国会議員の立法不作為が国家賠償法上違法となるものではない。
この点について、最高裁昭和六〇年一一月二一日第一小法廷判決 (民集三九巻七号一五一二頁) は、在宅投票制度を廃止しこれを復活しなかった立法行為についての事案について、「国会議員の立法行為は、立法の内容が憲法の一義的な文言に違反しているにもかかわらず国会があえて当該立法を行うというごとき、容易に想定し難いような例外的な場合でない限り、国家賠償法一条一項の規定の適用上、違法の評価を受けない」と判示し、その後にも、これと同旨の最高裁判決がある。
しかしながら、右の最高裁昭和六〇年一一月二一日判決は、もともと立法裁量にゆだねられているところの国会議員の選挙の投票方法に関するものであり、患者の隔離という他に比類のないような極めて重大な自由の制限を課する新法の隔離規定に関する本件とは、全く事案を異にする。右判決は、その論拠として、議会制民主主義や多数決原理を挙げるが、新法の隔離規定は、少数者であるハンセン病患者の犠牲の下に、多数者である一般国民の利益を擁護しようとするものであり、その適否を多数決原理にゆだねることには、もともと少数者の人権保障を脅かしかねない危険性が内在されているのであって、右論拠は、本件に全く同じように妥当するとはいえない。また、その後の最高裁判決の事案も、一般民間人戦災者を対象とする援護立法をしないことに関するもの (昭和六二年六月ニ六日第二小法廷判決・裁判集民事一五一号一四七頁)、生糸の輸入制限に関するもの (平成二年二月六日第三小法廷判決,訟務月報三六巻一二号二二四二頁)、民法七三三条の再婚禁止期間に関するもの (平成七年一二月五日第三小法廷判決、裁判集民事一七七号二四三頁) 等であり、本件に四敵するようなものは全く見当たらない。
もっとも、右一連の最高裁判決は、立法行為が国家賠償法上違法と評価されるのは、容易に想定し難いような極めて特殊で例外的な場合に限られるべきである旨判示しており、その限りでは、本件にも妥当するものである。ただ右判決の文言からも明らかなように、「立法の内容が憲法の一義的な文言に違反している」ことは、立法行為の国家賠償法上の違法性を認めるための絶対条件とは解されない。右一連の最高裁判決が「立法の内容が憲法の一義的な文言に違反している」との表現を用いたのも、立法行為が国家賠償法上違法と評価されるのが、極めて特殊で例外的な場合に限られるべきであることを強調しようとしたにすぎないものというべきである。
二 そこで本件について検討するに、既に述べたとおり、新法の隔離規定は、新法制定当時から既に、ハンセン病予防上の必要を超えて過度な人権の制限を課すものであり、公共の福祉による合理的な制限を逸脱していたというべきであり、遅くとも昭和三五年には、その違憲性が明白になっていたのであるが、このことに加え、新法附帯決議が、近い将来、新法の改正を期するとしており、もともと新法制定当時から新法の隔離規定を見直すべきことが予定されていたこと、昭和三〇年代前半には、スルフォン剤の評価が確実なものとなり、これに伴い、国際的には、次第に強制隔離否定の方向性が顕著となり、昭和三一年のローマ会議以降のハンセン病の国際会議においては、ハンセン病に関する特別法の廃止が繰り返し提唱されるまでに至っていたこと、特に、昭和三三年に東京で開催された第七回国際らい会議では、「政府がいまだに強制的な隔離政策を採用しているところは、その政策を全面的に破棄するように勧奨する」等と決議されていること、さらに、昭和三八年の第八回国際らい会議では、「この病気に直接向けられた特別な法律は破棄されるべきである。一方、法外な法律が未だ廃されていない所では、現行の法律の適用は現在の知識の線に沿ってなされなければならない。(中略)〔ママ〕無差別の強制隔離は時代錯誤であり、廃止されなければならない。」とされたこと、同年ころの新法改正運動の際には、全患協が、国会議員や厚生省に対し、改正要請書を提出したり新法改正を求める陳情を行うなどの活動を盛んに行っており、右陳情を受けた国会議員の中には、「政府も早急に法改正に努力しなければならない。」とか、「このような予防法があることは国として恥かしい」と述べた者もいたほどであり、国会議員としても、このころに新法の隔離規定の適否を判断することは十分に可能であったこと、昭和三九年三月に厚生省公衆衛生局結核予防課がまとめた「らいの現状に対する考え方」(前記第一節第五の三) からしても、新法の隔離規定に合理性がないことが明らかであること、その他、前記第三節第二の一及び二で指摘した事情等を考慮し、新法の隔離規定が存続することによる人権被害の重大性とこれに対する司法的救済の必要性にかんがみれば、他にはおよそ想定し難いような極めて特殊で例外的な場合として、遅くとも昭和四〇年以降に新法の隔離規定を改廃しなかった国会議員の立法上の不作為につき、国家賠償法上の違法性を認めるのが相当である。
そして、前記第三節第二の一及び二で指摘した事情等、新法の隔離規定の違憲性を判断する前提として認定した事実関係については、国会議員が調査すれば容易に知ることができたものであり、また、昭和三八年ころには、全患協による新法改正運動が行われ、国会議員や厚生省に対する陳情等の働き掛けも盛んに行われていたことなどからすれば、国会議員には過失が認められるというべきである
三1 被告は、日本らい学会等のハンセン病に関する専門家が、予防措置は不要であるとして医学的知見に基づく政策変更の提言をしたのは平成七年のことであるから、それ以前に、国会議員が法廃止の必要性を判断できなかったとしてもやむを得なかったと主張する。
しかしながら、既に検討したとおり、プロミンによりハンセン病が治し得るものとなっていたことは、新法制定までの国会審議で明らかにされていた上、ハンセン病に関する国際会議の動向は、国会議員においても自ら又は厚生省を通じて調查すれば十分に認識可能であり、遅くとも昭和三九年には厚生省公衆衛生局結核予防課がまとめた「らいの現状に対する考え方」等によって、新法が医学的根拠を欠いていたことが十分に判断できたはずである。したがって、被告の主張は、失当である。
なお、付言するに、我が国のハンセン病に関する専門家が、平成七年まで新法の隔離規定を積極的に支持していたとは到底考えられない。そのことは、昭和三九年に発表された前記「らいの現状に対する考え方」からも十分うかがわれるところであるが、昭和四五年に発行された当時の長島愛生園長高島重孝監修による「らい医学の手引き」(前記第一節第五の一4㈢⑷) にも、「絶対隔離政策はまさにナンセンスであり、(我が国の) らい患者の減少にあずかって力があったのは、文化的生活水準の向上ということになろう。(中略)〔ママ〕①らいが不治でなく、②変形は単なる後遺症にすぎず、③病型によっては伝染の恐れが全くないばかりか、④乳幼児期に感染しないかぎり発病の可能性はきわめて少ないことが明らかな現在では、らい予防法に旧態依然としてうたわれている隔離が、問題視されるのも当然である。」と記載されている。また、昭和六二年三月には、所長連盟が強制措置の撤廃等を求める新法の改正要請書まで提出しているのである。外出制限が徐々に弾力的に運用されるようになったのも、新法の隔離規定が療養所長を始めとする我が国のハンセン病専門家の支持を失っていたことの一つの現れというべきである。この点に関連して、成田は、意見書において、日本らい学会が抱えていた問題として、再発や難治らい、DDS耐性があったとしながらも、「このような治療上の問題故に、隔離の強制は必要であり、『らい予防法』も必要とは、日本らい学会も考えなかったはずである。むしろ余りにも時代がかった法律として無視してしまったというのが当たっている。」と述べているのである。
2 また、被告は、ハンセン病が治癒し伝染させるおそれがなくなった者は、本来、新法一五条の「入所患者」には当たらないのであるが、このような者も、形式的には「入所患者」に含めた上で、全く法的に外出を制限しない運用をすることにしていたのであり、このことは、すべての入所者に対し、新法一五条一項一号の外出許可事由があり、かつ、らい予防上重大な支障を来すおそれがないとして事前に包括的に外出を認める体制を採っていたと評価すべきものであると主張する。
しかしながら、すべての入所者について新法一五条一項一号の外出許可事由があるなどというのは、新法一五条の文言やこれに関する通達等から全く逸脱した解釈であって、新法廃止までにそのような認識が療養所関係者にあったとは認められない。外出制限の実情については、前記第二節第三の四で詳述したところであり、確かに、徐々に緩やかな運用となり、昭和五〇年代以降は、同条による制限が著しく後退していたことは事実である。しかしながら、被告が新法廃止までに外出制限の必要性を公式には否定したことは一度もなく、昭和五七年の国会審議に至っても、厚生大臣及び厚生省公衆衛生局長は、隔離政策によるハンセン病患者の人権制限の必要性を否定していないのである。しかも、新法一五条による外出の制限は、法律上当然に加えられているものであって、運用が弾力的であることによってその制限の存在を完全に否定することができるものではなく、入所者にとって、新法一五条に違反しても処罰されないとの保障はどこにもなかったのである。
したがって、外出制限が緩やかに運用されるようになったことは、損害論において十分に斟酌すれば足りることであって、違法性及び過失の判断を左右するものではない。
3 さらに、被告は、新法廃止とともに、それまでの入所者の処遇の水準を維持することを保障する法律を制定することは、社会福祉立法をすることになるが、社会福祉立法は、その時々の財政状況、社会状況、他の疾病に対する施策との均衡等の様々な事項を総合的に考慮しなければなら