の相当な措置等を採ったとも評価し得ない。
伝染病の伝ぱ及び発生の防止等を所管事務とする厚生省を統括管理する地位にある厚生大臣は、厚生省が右のような隔離政策の抜本的な交換やそのために必要となる相当な措置を採ることなく、入所者の入所状態を漫然と放置し、新法六条、一五条の下で隔離を継続させたこと、また、ハンセン病が恐ろしい伝染病でありハンセン病患者は隔離されるべき危険な存在であるとの社会認識を放置したことにつき、法的責任を負うものというべきであり、厚生大臣の公権力の行使たる職務行為に国家賠償法上の違法性があると認めるのが相当である。
そして、厚生大臣は、昭和三五年当時、前記第二の一及び二で指摘した①ないし⑨の各事情等、隔離の必要性を判断するのに必要な医学的知見・情報を十分に得ていたか、あるいは得ることが容易であったと認められ、また、ハンセン病患者又は元患者に対する差別・偏見の状況についても、容易に把握可能であったというべきであるから、厚生大臣に過失があることを優に認めることができる。
二 これに対し、被告が反論する点については、既にそれぞれの箇所で検討・言及してきたところであるが、以下では、更に検討を加える。
1 被告は、たとえ新法が違憲であっても、厚生大臣その他の職員が新法に従って行政を行った以上、国家賠償法上違法と評価されることはなく、少なくとも故意・過失は存しないと主張する。
確かに、すべての入所者及びハンセン病患者について隔離の必要性が失われた事態を抜本的に解決しようとすれば、国会における新法の廃止が最も端的な方法ではあるが、新法の廃止は、国会のみの責任でのみ行なわれ得るものではなく、今回の平成八年の新法廃止の経過からみれば、厚生省の新法廃止に向けての作業が重要な役割を果たしていることは明らかであるところからみても、ハンセン病医療を所管し、国内外におけるハンセン病の専門的な医学的知見やより詳細な治療の状況に関する情報を入手することが可能である厚生省の新法廃止へ向けての積極的な作業が必要とされるのであって、本件のように隔離政策による患者の人権被害が甚大であり、隔離政策の誤りか明白となっている状況の下では、厚生省がそのような作業をしても国会で新法廃止の立法がなされなかった場合であればともかく、厚生省が右のような新法廃止に向けての積極的な作業を一切することなくこ れを放置しておきながら、厚生省は違憲の法律であってもそれに従って行政を行なう以上国家賠償法上の違法性はなく、少なくとも故意・過失はないというような主張は採用できない。
また、新法は、必ず隔離政策を維持・継続しなければならないと定めているわけではなく、むしろ、隔離の必要性の判断を、医学的知見の進展やハンセン病の蔓延状況によってその都度変更すべき場合があることを予定しているものとも解されるのであって、新法が存続していたことは厚生大臣の行為の違法性及び過失を認めるに当たって、特に支障となるものではないというべきである。
2 また、被告は、強制収容と法的に評価し得るのは物理的強制入所のみであるとの前提に立って、新法の下において物理的強制入所がなかったか、ほとんどなかったことをるる指摘する。
しかしながら、たとえ、新法第六条一項による勧奨による入所であっても,伝染させるおそれがあり、ハンセン病予防上必要があると認められる以上、同条二項の入所命令、同条三項の直接強制を受ける可能性があることを前提とした勧奨であるから、患者に入所を拒む自由は事実上ないというべきであり、また、入所後においては、退所を制限され、新法一五条による外出制限に服する点からみても、入所命令や即時強制による入所と異ならないのであって、物理的強制を伴わない入所を全くの任意入所のようにいうことはできない。原告らの入所形態や入所理由には様々なものがあるが、いずれにしても、外出制限等を伴う隔離状態に置かれていた点では変わらず、厚生大臣の行為を違法と評価することに支障となるものではない。
3 さらに、被告は、遅くとも、昭和五〇年ころ以降は、菌陰性かどうかに関係なく、 自由に退所することができたと主張する。
そもそも、退所が可能かどうかの判断は、高度に医学的・専門的な事項であって、入所者自身において判断し得るものではないことに加え、新法に退所基準や退所の手続的規定が定められていないことをも考え合わせると、入所者から具体的な退所の申出がない限り、療養所側が何の対応もしなくてよいとするのでは、退所機会の保障という点で極めて不十分である。そして、前記第二節第三の三で指摘した事情、特に、厚生省が、新法廃止までに、だれでも自由に退所できるなどと公式に表明したことは一度もなく、昭和五七年の国会答弁でも、ハンセン病の対策の手を緩めるわけにはいかず、患者に対する一定の人権制限はやむを得ないと答弁していたこと、厚生省が昭和三一年に策定した唯一の退所基準である暫定退所決定準則は、極めて厳格なものであり、退所機会を適正に保障する内容のものとはいえないこと、しかも、右準則は、当初入所者に厳秘とされていたもので、後にその存在が全患協に知られるようになったが、この準則の退所基準が入所者らに広く周知されていたとは認められないこと、昭和三〇年代にいくつかの療養所で退所基準や退所手続規定が定められているが、これによっても、退所基準が緩やかになったとは評価し得ないこと、昭和五〇年代以降、多くの療養所において、退所を強く希望する入所者に対して是が非でも退所を許可しないということはなくなったが、そのような療養所の方針が公式に表明されたことはなく、入所者にだれでも自由に退所できることが周知されていたとは認められないことなどからすれば、入所者が認識可能な形で退所の自由が認められていたのでないことは明らかである。隔離状態が徐々に緩和されていったことは、損害論では十分斟酌すべき点ではあるが、隔離政策自体は緩やかながら新法廃止まで継続されていたと認めざるを得ず、隔離政策を継続したことについての違法性の判断そのものを左右するとまではいえない。
三 以上のとおりであって、厚生大臣の公権力の行使たる職務行為には違法があり、厚生大臣の過失も優にこれを認めることができる。
第四節 国会議員の立法行為の国家賠償法上の違法及び故意・過失の有無 (争点二)
第一 原告らの主張
原告らは、ハンセン病患者の隔離等を規定する旧法及び新法の違憲性を主張し、さらに、①旧法を昭和二八年まで改廃しなかった国会議員の立法不作為、②新法制定に係る国会議員の立法行為、③新法を平成八年まで改廃しなかった国会議員の立法不作為の、国家賠償法上の違法性を主張している。
第二 新法の違憲性
一 新法の解釈等
新法は、ハンセン病を予防するとともに、ハンセン病患者の医療を行い、併せてその福祉を図り、もって公共の福祉の増進を図ることを目的として制定された法律であるが (一条)、そのうち、ハンセン病を予防するための措置として、六条で、伝染させるおそれがある患者の療養所への入所について定めている。すなわち、新法六条は、ハンセン病を伝染させるおそれがある患者について、ハンセン病予防上必要があると認められる場合に限り、当該患者を療養所に入所させることとし、入所させるための措置として、第一次的には入所勧奨を、入所勧奨に応じないときには入所命令を、入所命令に従わないとき又は入所勧奨や入所命令の手続を採るいとまがないときには入所の即時強制をそれぞれ行うこととしている。
このように、新法六条は、ハンセン病予防のために患者を入所させる措置として、勧奨、命令及び即時強制という三つの方法を規定しているところ、同条一項ないし三項の末尾はいずれも「できる。」との文言になっているが、重篤な伝染性疾患であるハンセン病を患者の隔離によって予防しようとする新法の目的・趣旨からすれば、伝染させるおそれがある患者についてハンセン病予防上必要があると認められる場合に、都道府県知事にこれらの措置を採る権限を行使しない裁量が与えられているものとは解されず、これらの措置を採って患者を入所させるべきことが義務付けられているものと解される。このことは、患者の側から見れば、伝染させるおそれがあり、ハンセン病予防上必要があると認められる以上、入所時期の猶予を受ける余地はあっても、入所自体を拒む自由はなく、入所義務を課せられることにほかならない。
また、新法は、入所患者がみだりに療養所から外出・逃亡することによって、ハンセン病が伝染・拡大することを防止するため、一五条で、入所患者に対する極めて厳格な外出制限を定めている。すなわち、新法一五条は、入所患者は、①親族の危篤、死亡、り災その他特別の事情がある場合であって、療養所長が、らい予防上重大な支障を来たすおそれがないと認めて許可したとき (同条一項一号)、②法令により療養所外に出頭を要する場合であって、療養所長が、らい予防上重大な支障を来たすおそれがないと認めたとき (同条項二号) を除いては、療養所から外出してはならないものとしている。そして、右規定に違反した場合については、新法二八条により拘留又は科料という刑罰による制裁が設けられているのである。
なお、新法は、入所者の退所について明文の規定を置いていないが、新法一三条が「国は、必要があると認めるときは、入所患者に対して、その社会的更生に資するために必要な知識及び技能を与えるための措置を講ずることができる。」と規定し、退所を前提としていると考えられることや、新法の立法経過等に照らせば、新法が退所を認めない建前をとっていないことは明らかである。ただ、他方、入所患者が療養所長の許可を受けずに退所することは、新法一五条により許されないから、その意味で、入所者には、療養所長が退所を許可しない限り療養所にとどまるべき義務 (在所義務) があると解される。
二 ところで、憲法二二条一項は、何人も、公共の福祉に反しない限り、居住、移転の自由を有すると規定している。この居住・移転の自由は、経済的自由の一環をなすものであるとともに、奴隸的拘束等の禁止を定めた憲法一八条よりも広い意味での人身の自由としての側面を持つ。のみならず、自己の選択するところに従い社会の様々な事物に触れ、人と接しコミュニケートすることは、人が人として生存する上で決定的重要性を有することであって、居住自移転の自由は、これに不可欠の前提というべきものである。新法は、六条、一五条及び二八条が一体となって、伝染させるおそれがある患者の隔離を規定しているのであるが、いうまでもなく、これらの規定 (以下「新法の隔離規定」という。) は、この居住,移転の自由を包括的に制限するものである。
ただ、新法の隔離規定によってもたらされる人権の制限は、居住・移転の自由という枠内で的確に把握し得るものではない。ハンセン病患者の隔離は、通常極めて長期間にわたるが、たとえ数年程度に終わる場合であっても、当該患者の人生に決定的に重大な影響を与える。ある者は、学業の中断を余儀なくされ、ある者は、職を失い、あるいは思い描いていた職業に就く機会を奪われ、ある者は、結婚し、家庭を築き、子供を産み育てる機会を失い、あるいは家族との触れ合いの中で人生を送ることを著しく制限される。その影響の現れ方は、その患者ごとに様々であるが、いずれにしても、人として当然に持っているはずの人生のありとあらゆる発展可能性が大きく損なわれるのであり、その人権の制限は、人としての社会生活全般にわたるものである。このような人権制限の実態は、単に居住・移転の自由の制限ということで正当には評価し尽くせず、より広く憲法一三条に根拠を有する人格権そのものに対するものととらえるのが相当である。
もっとも、これらの人権も、全く無制限