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 昭和五〇年前後からは、療養所内の処遇改善が行われ、外出制限も緩やかに運用されるようになり、退所についても、入所者が積極的に希望する限り、あえてこれを制限しない運用になったものの、大部分の入所者は、療養所での生活が長期間となり高齢となっていたこと、また、新法における隔離政策の廃止が明確にされないまま療養所が運営されていたことなどにより、療養所外の社会におけるハンセン病に対する偏見・差別が依然として残り、退所して社会復帰をすることを希望する入所者も漸次減少してくるなかで、厚生省は、平成八年四月まで、ハンセン病患者の人権を著しく侵害する内容を有し、ハンセン病に対する差別・偏見を助長、維持するという弊害をもたらし続けたところの新法の下での隔離政策を廃止しなかったものである。

 二 以上のとおり、厚生省は、新法の下で、ハンセン病患者の隔離政策を遂行してきたものであるが、いうまでもなく、患者の隔離は、患者に対し、継続的で極めて重大な人権の制限を強いるものであるから、すべての個人に対し侵すことのできない永久の権利として基本的人権を保障し、これを公共の福祉に反しない限り国政の上で最大限に尊重することを要求する現憲法の下において、その実施をするに当たっては、最大限の慎重さをもって臨むべきであり、少なくとも、ハンセン病予防という公衆衛生上の見地からの必要性 (以下「隔離の必要性」という。) を認め得る限度で許されるべきものである。新法六条一項が、伝染させるおそれがある患者について、ハンセン病予防上必要があると認められる場合に限って、入所勧奨を行うことができるとしているのも、その趣旨を含むものと解されるところである。また、右の隔離の必要性の判断は、医学的知見やハンセン病の蔓延状況の変化等によって異なり得るものであるから、その時々の最新の医学的知見に基づき、その時点までの蔓延状況、個々の患者の伝染のおそれの強弱等を考慮しつつ、隔離のもたらす人権の制限の重大性に配意して、十分に慎重になされるべきであり、もちろん、患者に伝染のおそれがあることのみによって隔離の必要性が肯定されるものではない。

第二 隔離の必要性の有無について

 一 前記第一の二で述べたところを前提として、隔離の必要性の有無について検討するに、①もともと、ハンセン病は、感染し発病に至るおそれが極めて低い病気であって、このことは、新法制定よりはるか以前から政府やハンセン病医学の専門家において十分に認識されていたところであること (前記第一節第五の一)、②我が国のハンセン病の患者数は、明治三三年から昭和二五年までの五〇年間に半減あるいはそれ以下に減少し、それとともに、有病率もその間に一万人当たり六・九二人から一・三三人と約五分の一に低下し、新法制定当時のハンセン病の蔓延状況は、もはや深刻なものではなくなっていたこと、また、その後も、ハンセン病患者の発生は、戦後の混乱期を脱して社会経済状態が好転していくことで、自然に減少していくと見込まれていたこと (前記第一節第一二の一、三4、四、第二節第二の四、六1の宫崎及び参議院厚生委員長の発言部分、九3の廣瀬久忠議員の発言部分)、③ハンセン病は、慢性の経過をたどって進行するが、もともと、それ自体としては致死的な病気ではない上、すべての症例が重症化するわけではなく、自然治癒するものもあったこと (前記第一節第一の三5、四1、2)、④新法制定当時、既にプロミンがハンセン病に著効を示すことが国内外で明らかとなっており、特に、重症化しやすい結節らいの患者の病状を著しく軽快させることができる状況になっていたこと、また、昭和二四年以降、プロミンが我が国の療養所で広く普及するようになり、かつてのようなハンセン病が不治の悲惨な病気であるとの観念はもはや妥当しなくなっていたこと、さらに、 昭和二三年ころからは、プロミンと同じスルフォン剤であり経ロ投与可能なDDSが、少量でプロミンに劣らぬ治療効果を持っていることが明らかになり、新法制定の前年の昭和二七年のWHO第一回らい専門委員会では、在宅治療の可能性を拡げるものとして高い評価を得ていたこと (前記第1節第三の一ないし三、第五の二)、⑤ハンセン病に関する国際会議等では、戦前から、隔離を限定的に行おうとする考え方が随所に現れていたこと、特に、患者を伝染性患者と非伝染性患者に分け、前者のみを隔離の対象とすべきことは、大正一二年の第三回国際らい会議以降、繰り返し提唱され、昭和二七年のWHOの第一回らい専門委員会の報告にもその旨の指摘がなされていたこと、また、国際連盟らい委員会が昭和六年に発行した「ハンセン病予防の原則」や昭和二七年のWHO第一回らい専門委員会の報告では、強制隔離政策が、隔離を回避しようとする患者を潜伏化させる傾向がありハンセン病予防に十分な効果をもたらさないことがある旨の指摘もなされており、新法制定後のものではあるが、昭和二九年にWHOがまとめた「近代癩法規の展望」でも、隔離政策の正当性・有効性が疑問視されていたことなどが認められる。

 そうすると、他方で、新法制定当時においては、スルフォン剤治療による再発の頻度がいまだ明らかになっておらず、スルフォン剤の評価が完全に確定的になったとまでいえる状況ではなかったこと、昭和二七年のWHO第一回らい専門委員会の報告を始め、国内外のハンセン病医学の専門家の意見としても、隔離政策を完全に否定するところまではいっていなかったことなどを考慮しても、少なくとも、病型による伝染力の強弱のいかんを問わずほとんどすべてのハンセン病患者を対象としなければならないほどの隔離の必要性は見いだし得ないというべきである。

 二 また、以上に加え、新法制定以降の事情として、⑥プロミン治療が我が国で開始されてから 一〇年を経過した昭和三一年ころ以降、スルフォン剤治療による再発の頻度が少しずつ明らかになっていったが、国際的には、スルフォン剤のハンセン病治療上の優位は全く揺るがず、治療実績が積み重ねられるにつれ、ますますスルフォン剤の評価が確実なものとなっていったこと、⑦これに伴い、国際的には、次第に強制隔離否定の方向性が顕著となり、昭和三一年のローマ会議、昭和三三年の第七回国際らい会議 (東京) 及び昭和三四年のWHO第二回らい専門委員会などのハンセン病の国際会議においては、ハンセン病に関する特別法の廃止が繰り返し提唱されるまでに至っていたこと、⑧我が国におけるスル フォン剤の評価も、右の国際的評価と基本的には変わらないものであって、現実にも、スルフォン剤の登場以降、我が国において進行性の重症患者が激減していたこと、⑨戦後の混乱期を脱して社会経済状態が回復していったことにより、昭和三〇年に四一二人であった新発見患者数が、昭和三五年には二五六人となり、新発見患者数に顕著な減少が見られたことなどを総合すると、遅くとも昭和三五年以降においては、もはやハンセン病は、隔離政策を用いなければならないほどの特別の疾患ではなくなっており、病型のいかんを問わず、すべての入所者及びハンセン病患者について、隔離の必要性が失われたものといわざるを得ない。

 三 なお、被告は、スルフォン剤単剤治療によるL型患者の再発についてるる指摘するが、再発の頻度、原因、再発後の治療状況、再発症例の発生によるスルフォン剤の評価への影響については、前記第一節第三の七1、第五の二2㈢で検討したとおりであり、昭和三〇年代の再発の問題がスルフォン剤の評価を根本的に見直さなければならないようなものであったとは認められない。しかも、スルフォン剤単剤治療による再発が隔離の必要性を肯定する理由にならないことは、証人和泉が明確に証言しているほか、再発の問題の深刻さを強調する被告申請証人の長尾も、再発の可能性があったからといって隔離政策を継続すべきであったとは考えていない旨証言しているのである。

 また、被告は、スルフォン剤単剤治療による難治らいの症例の存在を指摘するが、これについては、前記第一節第三の七2で検討したとおりであり、我が国においてハンセン病政策全体を左右するほど多数の難治らいの症例があったとは認められない。

 さらに、被告は、スルフォン剤登場後もらい反応をどのように克服するかがハンセン病の治療に当たっての極めて深刻かつ重要な課題だったのであり、また、らい反応によって医学的に見て入院治療が必要な場合もあったと主張する。ところで、らい反応については、前記第一節第一の五で詳しく検討したが、らい反応によって入院治療が必要な場合があるというのは、専ら医療上の観点からであって、ハンセン病予防という公衆衛生上の必要性と直接結び付くものではなく、隔離の必要性を肯定する理由にはならない。なお、らい反応が起こるのは、スルフォン剤に欠陥があるからではなく、頻度は異なるがリファンピシンによる治療や多剤併用療法でもらい反応の問題は生じること、スルフォン剤単剤治療の時代にも、らい反応に対してそれ相応の対応ができたことは、長尾の証言等から明らかである。

 したがって、被告の右指摘・主張を考慮しても、前記一及び二の隔離の必要性の判断を左右するものではない。

第三 違法性及び過失の検討

 一 以上のとおりであって、遅くとも昭和三五年以降においては、すべての入所者及びハンセン病患者について隔離の必要性が失われたというべきであるから、厚生省としては、その時点において、新法の改廃に向けた諸手続を進めることを含む隔離政策の抜本的な変換をする必要があったというべきである。そして、厚生省としては、少なくとも、すべての入所者に対し、自由に退所できることを明らかにする相当な措置を採るべきであった。のみならず、ハンセン病の治療が受けられる療養所以外の医療機関が極めて限られており、特に、入院治療が可能であったのは京都大学だけという医療体制の下で、入院治療を必要とする患者は、事実上、療養所に入所せざるを得ず、また、療養所にとどまらざるを得ない状況に置かれていたのであるが (前記第二節第三の八1)、これは、抗ハンセン病薬が保険診療で正規に使用できる医薬品に含まれていなかったことなどの制度的欠陥によるところが大きかったのであるから、厚生省としては、このような療養所外でのハンセン病医療を妨げる制度的欠陥を取り除くための相当な措置を採るべきであった。さらに、従前のハンセン病政策が、新法の存在ともあいまって、ハンセン病患者及び元患者に対する差別・偏見の作出・助長に大きな役割を果たしたことは、前記第二節第四のとおりであり、このような先行的な事実関係の下で、社会に存在する差別・偏見がハンセン病患者及び元患者に多大な苦痛を与え続け、入所者の社会復帰を妨げる大きな要因にもなっていること、また、その差別・偏見は、伝染のおそれがある患者を隔離するという政策を標榜し続ける以上、根本的には解消されないものであることにかんがみれば、厚生省としては、入所者を自由に退所させても公衆衛生上問題とならないことを社会一般に認識可能な形で明らかにするなど、社会内の差別・偏見を除去するための相当な措置を採るべきであったというべきである。

 この点、厚生省は、特に、昭和五〇年代以降、非公式的にではあるが、外出制限規定を弾力的に運用するなど、棣々な点で隔離による人権制限を緩和させていったことは一応評価できるが、新法廃止まで、新法の改廃に向けた諸手続を進めることを含む隔離政策の抜本的な変換を行ったものとは評価できない。また、厚生省は、新法廃止まで、すべての入所者に対し、自由に退所できることを明らかにするなどしたことはなく、療養所外でのハンセン病医療を妨げる制度的欠陥を取り除くことなく放置し、さらには、社会一般に認識可能な形でハンセン病患者の隔離を行わないことを明らかにするなどしなかったのであるから前記