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菌と人集団の微妙なバランスの上に成り立っている疾患であり、人の集団免疫の変化によって流行が大きく左右されるのである。

 ハンセン病の大流行はまれで、二〇世紀に入ってからは、二〇世紀初めのナウル島やパプアニューギニア、一九五〇年代、六〇年代のミクロネシアのピンゲラップ島等の例が知られている。

 二 ハンセン病の感染について

 1 感染源

 ㈠ 患者

 現在、感染源として確立されているのは患者だけである。

 患者は、病型によって排出する菌の量が大きく異なり、TT型やI群の患者の排菌量は少ないが、LL型の患者からは、潰瘍を伴った皮疹、上気道分泌物、母乳等から大量のらい菌が排出される。

 多剤併用療法を始めると、らい菌の感染力が数日で失われるので、感染源になる可能性があるのは未治療の患者である。また、DDS巣剤療法でも、らい菌の排出量は急速に減少するとされている。

 ㈡ 患者以外

 発病前の感染者については、臨床症状が出る前のらい菌の増殖により発病前の一定期間は感染源となる可能性が強いとされている。

 人以外のらい菌の感染源としては、生活環境中のらい菌による感染の可能性が考えられている。証人和泉眞蔵 (以下「和泉」という。) は、感染源は、生活環境中のらい菌と患者の二つであるが、患者が主要な感染源とは考えられない旨証言している。ただ、生活環境中のらい菌による感染の疫学的重要性についてはいまだ不明な点も多い。

 ハンセン病が人獣共通伝染病であることは、一九七〇年代、八〇年代の研究で明らかになり、ココノオビアルマジロから人への感染発症例も報告されているが、これは特殊な例で感染源としての野生動物の疫学的重要性はないとされている。

 なお、体外でのらい菌の生存期間について、乾燥した日蔭では五か月、湿った土の中では四六日、室温の生理食塩水中では六〇日、直射日光で毎日三時間照射した場合でも七日間感染性を保っていたという研究結果がある。

 2 感染経路

 らい菌の感染経路については、現在でも確固たる結論には達していない。かつては上気道粘膜からの感染が重視され、後になって皮膚の傷からの感染を重視する説が有力になったが、近年は再び経上気道粘膜感染の重要性が指摘されるようになった。母乳中のらい菌による乳児への感染の可能性も否定されてはいないが、疫学的重要性はないようである。

 節足動物を媒介とする感染の可能性も否定されてはいないが、疫学的重要性はないとされている。

 3 感染力

 ハンセン病には結核のツベルクリン反応のような感染を知る皮内反応がないため感染の判定には血清学的手法が用いられるが、感染を一〇〇パーセント知る方法はまだ確立されていない。したがって、らい菌の感染力の強弱を知ることは困難であるが、最近の疫学的研究では、らい菌の感染力自体はそれほど弱くないともいわれている。

 三 ハンセン病の発病

 ハンセン病の発病には、種々の疫学的要因が関与していると考えられている。

 1 年齢・性

 ハンセン病の好発年齢については流行状態と関係がある。流行が持続している地域では、一〇歳代と四〇から六〇歳代にピークがあるが、流行が終焉に向かうと、若年の発病が減少するため、高齢発病のみの一峰性分布になる。

 発病者の男女比は一般に二対一といわれるが、年齢や地域差もあり、必ずしも一定ではない。

 2 初発患者の病型及び接触濃度

 家族内接触者の場合、初発患者の病型が発病の危険度に影響する。LL型患者の家族内接触者の発病率は、一〇〇〇分の六・二から五五・八と報告者により大きな違いがある。また、孤発例の発病率を 1 とした場合、LL型患者の家族の相対危険率は九・五、非LL型患者の家族のそれは三・七であったとの報告もある。また、同じ家族内接触でも接触が濃密であるほど発病率が高まることも知られている。

 乳幼児に対する家庭内感染の危険性については、第二回国際らい会議以降、国際会議等でしばしば取り上げられている (後記第四の一2以下参照)。家庭内接触児童の発病率については、多数の報告があるが、これをまとめた犀川一夫 (元日本らい学会会長、沖縄愛楽園名誉園長。以下「犀川」という。) の報告によると、戦前には四〇パーセント前後という極めて高率のものも発散されるが、戦後のものだけを見ると、最も高いもので一四パーセント、最も低いもので 一・四パーセントとなっている (別紙二1参照)。

 これに対し、夫婦間感染は、古くからまれであるといわれている。発病率は、多数の報告があるが、犀川の右報告によれば、最も高いもので七・八パーセント、最も低いもので〇・二六パーセントである (別紙二2参照)。

 3 遺伝素因

 統計によって多少の違いはあるが、ほぼ半数の患者は家族性に発生し、残りの半数は孤発例であるとされ、ハンセン病の発病に遺伝素因が一定の役割を果たしているものと考えられている。

 4 環境要因

 ハンセン病の流行は、社会経済状態と関係していると考えられている。ただ、発病に影響を与える社会経済因子を具体的に特定するには至っていない。

 なお、被告は、社会経済状態の発達がハンセン病の感染や発病を減少させることが認識されたのは、一九六〇年代ないし一九七〇年代ころからであると主張し、その根拠として、証人和泉の証言を挙げる。しかしながら、社会経済状態の発達とハンセン病の感染・発病が関係していることは、既に明治三〇年の第一回国際らい会議において確認されている上 (後記第四の一1)、その後も国内外で繰り返し指摘されている (例えば、後記第五の一3 ㈠、4 ㈢ ⑴、⑶) ところであって、被告の右主張は失当である。

 四 WHOハンセン病制圧基準

 平成三年のWHOの世界保健総会では、「公衆衛生問題としてのハンセン病を平成一二年までに制圧する」との宣言がなされたが、ここでいう「主たる公衆衛生問題としてのハンセン病の制圧」の基準は、有病率を人口一万人当たり一人以下とすることとされた。これは、当時の世界の主なハンセン病蔓延国の平均有病率 (人口一万人当たり一〇人程度) を約一〇分の一に下げることを意味する。

 もちろん、世界には様々な公衆衛生水準の国があって、平成三年当時の右基準が我が国の新法制定当時の公衆衛生水準としてそのまま妥当するものではないが、一応の参考にはなるものである。

 なお、後でも述べるが、我が国の有病率は、明治三三年が人口一万人当たり六・九二人、昭和二五年が一・三三人であり、昭和四五年以降は一人を下回っている。

 第三 ハンセン病治療の推移

 一 スルフォン剤登場前の治療について

 スルフォン剤がハンセン病治療薬として登場するまでは、大風子油による治療がほとんど唯一の治療法であり、ある程度効果があるとの評価もあったことから、我が国の療養所でも使用されていたが、再発率がかなり高く、根治薬というには程遠いものであった。

 二 スルフォン剤の登場

 アメリカのカービル療養所のファジェットは、昭和一八年、二〇世紀初頭に抗結核剤として開発されたスルフォン剤であるプロミンにハンセン病の治療効果があることを発表した。その治療効果は、「カービルの奇跡」とまでいわれた。

 その後、プロミンやその類似化合物であるプロミゾール、ダイアゾンの治療効果は、昭和二一年にリオデジャネイロで開催された第二回汎アメリカらい会議でも取り上げられ、その評価になお慎重な意見もあったが、ファジェットの研究成果が高く評価され、スルフォン剤が、大風子油以来、最も進歩した薬剤とされた。

 我が国でも戦後間もなくプロミン等による治療が開始され、昭和二二年以降、日本らい学会においてプロミンの有効性が次々と報告された。昭和二四年四月には、全患協による運動 (プロミン獲得運動) もあって、プロミンが正式に予算化された。

 そして、昭和二六年四月の第二四回日本らい学会において、「『プロミン』並に類似化合物による癩治療の協同研究」が発表され、再発の可能性を検討するために少なくとも 一〇年の経過を観察する必要があるとしながらも、プロミン等が極めて優秀な治療薬であると認められた。

 スルフォン剤の登場は、これまで確実な治療手段のなかったハンセン病を「治し得る病気」に変える画期的な出来事であった。

 三 DDS

 DDSは、スルフォン剤の基本化合物で、らい菌の葉酸代謝を阻害して静菌作用を示す。DDSは、リファンピシン登場前のハンセン病の代表的治療薬であり、現在でも多剤併用療法で用いられている。

 DDSがハンセン病治療に試されたのは昭和二二年ころからであり、昭和二三年にハバナで開催された第五回国際らい学会においては、DDSの少量投与で副作用を起こさず効果があるとの研究成果が報告され、注目を集めた。さらに、昭和二七年のWHO第一回らい専門委員会においても、DDSに恐れられていたほどの副作用がない上、治療効果も高いこと、安価であること、経口投与が可能で使用方法も簡便であることなどが高く評価された。

 我が国でも、昭和二八年ころからDDS経口投与の治療が開始されたが、広く普及するようになったのは、昭和三〇年代後半であった。

 四 リファンピシン

 リファンピシンは、もともと抗結核剤であったが、らい菌に対して強い殺菌作用を有していることが判明し、我が国でも、昭和四六年ころからハンセン病治療に用いられるようになった。リファンピシンを服用すると、数日で体内のらい菌の感染力を失わせることができるとされており、リファンピシンによって化学療法は更に進歩した。リファンピシンは、現在の多剤併用療法の中心的薬剤である。

 五 クロファジミン (B六六三)

 クロファジミンは、昭和三二年に合成されたフェナジン系誘導体で、当初抗結核作用が注目されたが、らい菌に対する弱い殺菌作用と静菌作用に加え、らい反応を抑える効果を有している (特に、ENL反応に著効を示す。) ことが判明し、我が国でも昭和四六年ころからハンセン病治療に用いられるようになった (なお、昭和四五年発行の甲一二四の一九七頁には、DDSとクロファジミンを併用すれば効果が増大する旨の報告が紹介されている)。

 六 発剤併用療法

 スルフォン剤に始まる化学療法の進歩は、ハンセン病治療に光明をもたらしたが、昭和三〇年代後半にDDSの、次にリファンピシンの耐性菌が発現し、耐性の問題をいかにして克服するかが世界的に重要な課題となっていた。

 昭和五六年にWHOが提唱した多剤併用療法は、リファンピシン、DDS、クロファジミンを同時併用することでこの問題を解決しようとするもので、前記第二章第二の一3で述べたように、卓越した治療効果、再発率の低さ、らい反応の少なさ、治療期間の短縮等の点で画期的であった。

 ただ、我が国では、当時、新規患者が極めて少なく、多剤併用療法の対象者がほとんどいなかったことから、医療関係者の多剤併用療法に対する関心は薄く、画期的であるとの実感はすぐには持たれなかった。