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在」が右損害との関係で意味のある請求原因ということになる。

 三 ②の共通損害について

 ②の共通損害についてみても、入所時期、入所期間、入所の事情は、各原告によって著しく異なっている上、療養所での処遇は年々改善され、外出制限や退所についても弾力的な行政対応がされていたのであるから、入所期間の長さが同じでも入所時期が違えば、療養所内での処遇が異なるのである。そうすると、②の共通損害とは、結局、入所の時期や期間を問わず、たとえ、わずかな期間であっても、療養所に入所したという事実に基づいて等しく発生する損害ということになるはずである。

 原告らの中には、療養所を相当以前に退所している者もおり、療養所から退所を許さないという意味での拘束状態がなかったことは明らかであるから、療養所に入所していることを何らかの意味で拘束状態にあったととらえ、その意味での共通損害があったと評価することはできない。

 また、原告らは、社会内の差別・偏見に対する恐怖心のために療養所から出ることができなかった者と、その恐怖心を克服して退所し差別・偏見と闘いながら社会内で生活した者とは、施設内であろうと施設外であろうと、隔離状態が継続し、社会の中で平穏に生活する権利を奪われたという意味では同じであるなどと主張しており、これによれば、原告らの主張する共通損害は、理由は様々であるものの、療養所内で生活せざるを得なかった者が、差別・偏見と闘いながら社会内で生活する者と同様に、社会の中で平穏に生活することができなかった損害ということになる。

 したがって、療養所に入所していた者がその期間中、同時期に社会内で暮らしていた者と比べ、監禁類似状態に置かれたことによって、より自由を奪われたということではない。

 したがって、②の共通損害は、昭和二二年から平成八年までのある特定の時期にわずかの期間でも療養所に入所した者が被る損害のうち最も軽微なものととらえるべきであり、しかも、その内容は、同時期に社会内で暮らしていた患者と変わらない程度のものということになる。そうすると、①の共通損害と別に②の共通損害を論ずる実益はないというべきである。

 四 以上によれば、本件において、原告らの主張する共通損害を惹起させる共通加害行為となり得る請求原因事実は、

ア 厚生大臣は、沖縄地区において、平成七年当時、ハンセン病の新規患者集団に対し、強制・絶対・終生隔離政策、絶滅政策を採っていたこと

イ 国会議員が昭和二八年にその旨を定める法律を制定し、平成八年まで廃止しなかったこと

ウ 厚生大臣は、その旨を定める法律案を内閣を通じて国会に提出したこと

エ 原告らが、昭和二二年から平成八 年までのいずれかの時期において、ハンセン病に罹患した事実があること

オ その当時に、ハンセン病の患者集団に対し、右アと同様の強制・絶対・終生隔離、絶滅政策が採られ、あるいは、その旨を定める法が存在したこと

となるはずである。

 第二 厚生大臣の責任について

 一 強制・絶対・終生隔離政策、絶滅政策の有無

 1 およそ行政は法律に従って行われなければならず、行政庁及びその職員は、関係法律が存する限り、これに従って、政策を策定、遂行する義務を負う。その際、行政庁及びその職員が関係法律を違憲と考えたとしても、当該行政庁及びその職員には法律の違憲審査権はないから、行政庁職員が当該法律に従って政策を施すほかなく、このことが、国家賠償法上違法と評価されることはなく、少なくとも同公務員には故意・過失は存しない。

 よって、厚生大臣その他の職員が旧法あるいは新法に従って行った行為については、国家賠償法上の責任が生ずる余地はない。

 2 強制収容政策

 ㈠ 原告らが主張する強制収容は、①物理的強制に限らず、②社会での差別・偏見を恐れて自ら入所した場合や、③在宅での治療ができないため治療目的で入所した場合も含んでいるが、②や③の場合が法的に強制収容といえないことはいうまでもない。また、そもそも、原告らが物理的に入所を強制されたのかは証拠上明らかでなく、社会内の差別・偏見の存在が国の責任に結び付くものでもない。③についても、特殊な疾病を専門の施設で治療する制度が強制入所と評価し得ないことは明らかである。なお、沖縄振興開発特別措置法によって在宅治療が認められていた沖縄地区はもちろんのこと、それ以外でも在宅治療は認められていた。

 ㈡ 物理的強制入所の有無

 共通損害の基準となるべき沖縄地区において、新法制定当初から強制入所の実施については慎重で、物理的強制力は用いておらず、少なくとも昭和四六年以降、物理的強制入所はなかった。

 また、新法は、条文上患者を強制的に隔離する原則を採っておらず (六条一項)、原告らが昭和二二年以降に物理的に強制入所せママれられたという証拠もない。全患協会長で、見直し検討会の委員でもあった高瀬重二郎は、同委員会の中で、実力をもって収容された例があるのは昭和三一年か、昭和三二年ころまでであり、もう少し広い意味での強制も昭和四〇年代ころまでである旨述べており、同委員会座長の大谷に至っては戦後物理的強制を伴う入所はなかった旨の発言をしている。

 原告らの陳述書や原告本人尋問の結果等によっても、原告らのほとんどは勧奨に応じなければ強制入所の手続を採ることを告げられた上で入所したのではなく、かえって、療養所まで家族が付き添う場合などは、任意の入所であることが強くうかがわれる。

 入所者に対する法廃止前のアンケート (甲五) によっても、回答者のうち、昭和二九年までに入所した者が八五パーセントを占めているにもかかわらず、「強制 (拘束) された」と回答している者は二八パーセントにすぎない。これは、古い時代においてすら、強制されて入所させられたと感じている入所者が少ないことを物語っている。なお、健康上の理由や老後の安定した生活のために自ら希望して再入所した原告は多数いるが、これが強制入所でないことはいうまでもない。

 ㈢ ハンセン病に対する差別・偏見を恐れての入所

 ハンセン病に罹患しても、療養所に一度も入所しない者や、社会復帰して再入所しない者が多数いることからも明らかなとおり、社会に存在する差別・偏見によって、ハンセン病患者が必然的に療養所への入所を余儀なくされるわけではない。なお、宮古地方では、差別・偏見は比較的少なく、宮古南静園が昭和五八年に保険医療機関の指定を受けてからは、更に住民の差別意識や偏見が薄れた。

 ハンセン病に対する社会の差別や偏見の根元的な理由は、政策や法の存在にあるのではなく、その身体の外貌や変形にある。右の差別や偏見の存在を国の責任と断定することは不当である。なお、重篤な症状を呈する伝染病の場合、これを予防する法律がなくても、人々は感染を恐れる。

 抽象的に差別・偏見が存在するといっても、差別意識や偏見を持つ人がどのくらい存し、どのくらいの患者が被差別感を有していたかは定かでない。ハンセン病患者の減少、特に悲惨な症状を呈する者の著しい減少などによって時代と共に社会の意識も変化し、差別意識や偏見も薄れてきた。被告も、ハンセン病の啓発活動に努めてきたところである。

 仮に、法や政策が社会における差別・偏見の形成に何らかの影響を及ぼしたとしても、それがどの程度のものかは容易には確定することはできない。

 我が国においては、古来、ハンセン病は遺伝病あるいは天刑病、業病であるなどといわれ、患者やその家族は社会から不当な虐待を受けてきた。ハンセンがらい菌を発見して以来、我が国でも、感染症であることを周知させ、感染を防止すると同時に、従来の迷信を払拭させる必要が生じた。感染予防の観点からやむを得ず採られた隔離政策や隔離を中心とする法の制定は、当時の医学的知見に合致したものであって、殊更、悪意をもって、社会に対しハンセン病への差別・偏見を植え付ける目的で行われたものではない。消毒についても、当時の医学的知見としては物を介しての感染もあるとされていたことから行われていたのであり、その方法も、他の感染症と異なるものではなかったのであるから、右方法が不適当であったとか、殊更に差別・偏見を助長する目的で行われたとはいえない。また、当時の我が国の社会経済状況の下では、ナウル島などで起こったような大流行が絶対に起こらないとはだれも考えておらず、医師自身、厳重に予防服を着用し、現実味をもって自己への感染を考えていたのである。プロミンについても、新法制定当時、これによって感染力を確実に失わせることできるとの知見は確立していなかったのである。

 したがって、当時の法に基づく政策によって、ハンセン病患者は隔離されるべき存在であるとの社会認識が生まれ、これにより療養所に入所せざるを得なかった者がいたとしても、旧法存在時及び新法制定当時は正当な医学的知見に基づくものであり、違法かつ不当な行為に基づくものとはいえない。

 加えて、新法制定後の医学的知見の発達に伴い、入所しないで治療する患者が次弟に増え、在宅治療が定着してからは、ハンセン病患者は隔離されなければならないとの社会認識はなくなるか、極めて希薄になったのであり、差別・偏見を恐れて入所せざるを得なかったという状況はなかった。

 ㈣ 外来治療について

 外来治療については、沖縄地域はもちろん、それ以外でも、京都大学等や療養所で行われ、特に昭和四〇年代以降、定着していった。外来治療が新法の下でも許されていたことは明らかであって、外来治療が認められていないから療養所に入所せざるを得なかったとの原告らの主張は事実と異なる。現に、外来治療を受けていた原告もいる。また、スルフォン剤単剤治療しか行われていなかった時代においては、治療中に起こるらい反応の管理が極めて困難であり、療養所以外の病院で治療を受けるにせよ、医学的に見て入院治療が必要な場合もあった。特殊な疾病に対し、少数の専門の施設でしか治療を受けられない制度があったとしても、それは医療政策上やむを得ないことであって、これをもって強制入所ということはできない。

 3 絶対隔離政策

 ㈠ 原告らは、絶対隔離を、①感染のおそれ、家庭内療養手段の有無にかかわらず、すべての患者を隔離の対象とすること、②孤島や遠隔地に隔離し、地域社会との人的社会的交流を厳格に遮断することと定義している。

 ㈡ 伝染のおそれについて

 伝染性の有無などにかかわらず、すべての患者を入所させたかどうかについては、原告らの共通損害とは関係なく、請求原因としても意味がない。

 なお、「伝染のおそれ」については、その時々の医学的知見に基づき、そのおそれがあって予防上必要がある者に入所勧奨をする建前になっていたが、T型の患者であっても感染のおそれは否定されておらず、新法制定当時にスルフォン剤治療によって確実に感染力を失わせることができるとの知見は確立されていなかった。

 ㈢ 外出制限と懲戒検束について

 療養所に入所することなく、あるいは退所して、一般社会で生活していた患者あるいは元患者は、外出制限や懲戒検束を受けることはないから、これは原告らの共通損害ではない。

 なお、新法附帯決議の中に「外出制限、秩序の維持に関する規定については適正慎