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「そんな考え方は卑屈ですよ、勝手な曲った見方ですよ、もっと真面目に相手の気持を考えて御覧なさい。」

 渥美は自分の力ではどうにもなるまいと思われるような危機に立った彼を、身を捨てて救って呉れた信子に感謝する気持でそう云った。そして一人の友人を死への誘惑から救うために、自己の希望を捨て一身を投げ出している信子の純情に対して、渥美は世に捨てられた不幸な癩者のために、という甘い感情に胸をふくらませていい気になっていた自分の観念の戯画ともいうべき態度が顔の赤くなる思いで反省されてくるのだった。彼女は確かに医者として、人間として相当に犠牲を払って今の仕事に出来るだけの努力を尽して来たことは事実だった。けれ共その努力も実は彼女が夫に裏切られた人生の空虚さを埋めようとする利己的な努力ではなかったといえるであろうか、患者に近づこう、そして彼等を心から慰めよう、と彼女は絶えず努力していたには違いなかった。けれ共それも健康者という安全な岸に立って彼等に手をさし伸べていたに過ぎぬのではなかったか、兎に角信子の態度に対してみるとき、渥美は跳び越えたつもりでいた健康者と患者という深い溝を隔てて彼等と相対していた自分を明瞭り感じないではいられなかった。そして患者と衣食住を共にしながら彼等に治療を施していて、遂に癩に感染して尚悔なかったという、モロカイの聖者ダミエンの生涯の話を他事ごとではなく実際問題として考え、自分を捨てなければ真実のことは出来ないのだと思い、どんな場合にも自己を捨てきることの出来ない自分自身の性格が悲しく反省されるのだった。

「卑屈!?」

 と奥田は、渥美の言葉にはじかれたように顔を上げたが、すぐまたがっくりと頷垂れてつぶやくように云った。

「そうだ。あの人もそう云いました。そして『私はその卑屈さを憎む、けれ共その卑屈さが憎ければ憎いだけに、一層このまま退院してしまう気にはなれない。』ってそれは……」

「そうです!」

 と渥美はそこまで聞くと、信子の全貌が心にぴったり来たので、そう云って奥田の言葉を遮った。信子は外科看護婦の助手をしていて看護帽にエプロン姿で治療日毎に病室の出張外科に廻っていた。手先の器用さはないが、身体中に柘榴のような傷をもった重症者に対しても割合に軽症なものに対しても、無神経かと思うほど変らぬ態度で彼女はたんねんに治療の手を動かしていた。それから人に逢えば遠くからでも几帳面に挨拶し、話をする時には女にありがちなはにかみへつらいが少しもなく、相手の顔からどんなかすかな表情でも見逃すまいとするような態度でものを云うのだった。

 それらの一つ一つと奥田の云った言葉とを綜合して、この人は自己を捨てられる人だ、そして信念を貫く人だ。と思い渥美は彼女を代弁する気持で続けて云った。

「そうです。それが人情の美くママしさです。親不幸の子ほど親は可愛いと云うでしょう。卑屈であればあるだけ愛さずにいられないというのはその気持です。卑屈になるというのは弱いからです。弱い者には愛だけが必要なのです。だから小田桐さんはこのまま退院してしまうことは出来ないと云うのです。その真ごころに対して貴男は素直でなければいけません。その純情をひがみや虚勢で踏み躏ったり、侮辱したりしてはいけません。か弱い女にも母としての強さがあるのですから、あなどる前に頼るべきです。」

「しかしその愛情に槌るのは悪くはないかも知れないが、僕は甘えてしまってその愛情の美くママしさを汚しそうなのでそれが怖いのです。そうなったら済まないことですからね。」

「済まない!?」

 と渥美は、鸚鵡返しに云って、夫と別れることになった時の場景を、それ以来はじめてはっきりと思い出した。渥美は恋愛をそのまま結婚に押し進めて順調な人生のスタートを切ったのだったが、その幸福な結婚