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生活は僅か二年足らずで破れ、夫は思想犯として捕えられたのだった。彼女は、大学の研究室に没入しているとばかり信じていた夫がそんな運動に入っていようとは寝耳に水だった。そうして尚夫は同志の女の家で寝込みを挙げられたのだと知った時には全く裏切れママた憤怒に身を焼く思いで、すぐにも別れてしまおうと決心したのだが、夫が刑期を終えて出獄して来るのを待ってそのやつれた夫に対して猶予せず彼女は離婚を提議したのだ。その時、夫は三つになったばかりの玲子に目を注ぎながら「お前達にすまん」と唯それだけ云ったのだった。渥美はもっとなんとか云ってもらいたかった。少しは嘘があってもいい、彼の自己弁護を心で要求していたのだった。彼女は口では強く云っても実は幼い玲子のためにも別れたくなかったし、たとえ思想犯という前科をもったにしろ夫に対する愛情は少しも薄らいでいる訳ではなかったのだ。けれ共夫がそんな態度では彼女は全く手も足も出せない形で、結局夫が「そう一概に云わんでも」というのででは兎に角別居していて、ということになり、そのままもう十年にもなろうとしているのである。あの時夫が我を折っても少し近づいて呉れたら、と渥美は思うのである。

「すまないなんて云うのはへり下った様でいて、実はそれこそ男の女に対する虚勢です。女の愛情を恥かしめる態度です。そのために家庭が破壊され、相互の不幸を招いた例は世の中には少なくありません。現に私の家庭なども……」

 と云いかけて渥美は「嘘をつけ!!」という心の叫びをきいた。そして「この長い間虚勢を張り通していたのは夫よりもお前の方ではないか」とその声は尚もそう云った。そうだしりぞけた夫を心の底から愛していながらその愛情をひた押に押しつけて自分を偽る手段としてこんな仕事に身を寄せている自分の態度が虚勢でなくてなんであろう。しかもそれ等の総ては夫の卑屈さによって起されたのだと思おうとする自分こそ一層卑屈ではないか、婿取りだという我儘と自活出来るという己惚れ根性こそ、こうした事態を招く原因となったのではなかったか、と自省しそれでもよくこの長い間を別居したままで互いに再縁もせずに頑張り通したものだ、と思うと渥美は、自分ばかりではなく、夫の愛情も今更のように泌々と身に泌みて深いものに思われて来、夫は今どうしているであろうとその身の上が思い遣られるのだった。そして曰支事変は遂に長期戦になり、政府は総ゆる機能を動員して国民精神の強調に努め、都会にも田舎にも軍国色が溢れており、曾ては華やかに時代を彩った思想運動は国民精神の敵として徹底的に弾圧されているきょうこの頃、何処かの隅っこで息を殺しているであろう、夫が想像されて来ると今迎え入れてやったら、夫もきっと転向して家庭の人として甦生してくれることだろうと思われ、玲子のためにも探し出してやらなければならない気がして来るのだった。

 医局はもうどの科もすっかり片付いたらしく、隣室では先刻まで看護婦が器具に油雑布をかけていたらしい金属の触れ合う音が聞えていたがそれも止み、窓下の舗道には人通りが絶え、秋の陽光を一杯にうけて動くもののない窓の風景は明るく絵のように静まりかえっていた。その静けさを破って突然、真近い機関場から正午の気笛が鳴り響いて来た。「理屈は言葉の遊戯ですからやめましょう。私達は互いに魂と魂との声に対して耳を澄ませばいいのです。わかりますか?……それで、職員の私が勧めるのは変ですが、御両親に相談して早く結婚して心を落着けなさい。盲目になっても代筆してもらえば文学はやれますよ、もてあました生命をこんどはその方面へ投げ出してみたらいいでしょう。」

 奥田はそう云う渥美へ微笑で答えようとしたらしく唇を動かした、が白い歯は出なかった。渥美は浮腫のために鈍重な感じのする顔をこわばらせていた奥田の表情が柔らいだのを見ながら、彼等の結婚生活を想像し、貧弱な小机を中にして向き合った奥田の云うことをそのまま一句一句、信子が原稿紙へ書きつけてゆく場景を心に描き、それでもこの二人が、また時としては喧嘩をすることもあるだろう。と、そんなことまで