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帝国大学に在職していた当時「血痕の経時的変色について」と題する研究論文を発表している程の業績をもつ法医学者であること、同論文の内容を見るに、同人はろ紙上に家兎血液を一滴滴下したものを多数作り、これらを屋外、屋内、暗所の三条件に分けて実験を試みた結果、(イ)暗所に置いた場合 血痕はほぼ一週間目に至るまで変色し、それ以後は九か月後に至るまで暗赤色の色調を持続する、(ロ)室内に置いた血痕は九日目ないし一〇日目ころまで変色を続 け、その後は埃の影響を受けない限り九か月後に至るまで変化しない、(ハ)直接外気に曝した血痕は、室内及び暗所に置いた血痕に比し速かに黒変し、かつその黒色の度は最も強い、そしてほぼ二週間後に至って灰白褐色となり、その後漸次灰白色の度を増加する、㈡白木綿付着の家兎血痕の色は約二か月後 屋外では灰白色、 室内では赤褐色、暗所でも赤褐色である、と報告していること。
 ㈣ 右の各見解に従うと、 本件発生当時、本件白シャツに人血が付着したとすれば、その血痕の色合いは、原告隆がこれを本件発生後毎日作業用に使用していたとしても、押収された昭和二四年八月二二日当時は黒味を帯びた色合いのものであり、室内に置いたままの状態であったとすれば赤褐色の色合いを保っていたと推定されること。
 以上の各事実が認められる。右事実によれば、少なくとも三木鑑定及び古畑鑑定がなされた当時本件白シャツに付着していた斑痕の色合いや、本件発生当時本件白シャツに血痕が付着したと仮定した場合、本件シャツが押収された当時における血痕の色合いと引田教授による肉眼検査がなされた当時の斑痕の色合いとの間には明瞭な相違があり、しかも、右認定のような特別の研究業績をもつ引田教授が、本件シャツ付着の斑痕の色合いにつき、三木鑑定もしくは古畑鑑定にいう「赤褐色」または右に仮定した「黒色」もしくは「赤褐色」を「帯灰暗色」と誤認するようなことはないと解される。してみれば、古畑鑑定当時、本件白シャツに付着していた血痕が、果して引田教授による肉眼検査がなされた当時にも付着していたかどうかについては重大な疑問があるといわざるをえない。そして、《証拠略》によれば、検察官は、原告隆が本件公訴を提起する以前からこの点を強く争っていたことは十分承知していたことが認められるから、検察官としては、古畑鑑定当時における血痕の付着状況と本件白シャツが押収された当時または引田教授による検査がなされた当時における斑痕の付着状況とが同一であることを確認するなどの捜査を尽して右疑問点を解明しない限り、前記古畑鑑定書をもって本件発生当時本件白シャツに血が付着していることの証拠とはなしえず、したがって、有罪判決を期待しうる合理的根拠が存在するに至ったともいえないと解するのが相当である
 なお、古畑鑑定当時における血痕の付着状況と本件白シャツが押収された当時または引田教授による検査がなされた当時における斑痕の付着状況とが同一であると仮定すると、⑴前記三2㈢説示のように、本件白シャツにつき、いったんは引田教授に鑑定依頼がなされたにもかかわらず、その鑑定が終了しないうちに警察官がこれを理由も告げずに持ち帰ったのはいかなる事情によるのか、また、右鑑定依頼の際、本件白シャツは重要な証拠物であるから、本件白靴と同様他の証拠物とは別扱いにされて然るべきところ、他の鑑定物件とともに十把ひとからげにしてこうりに入れ、鑑定人のもとに運び込んだのは なぜか、⑵《証拠略》によれば、本件白シャツにつき、昭和二四年一〇月一七日、東北大学の三木助教授に鑑定の依頼がなされ、その鑑定資料は鑑定期間中全部同鑑定人によって保管されていたが、本件白シャツだけは同日〔丙〕技手が持ち帰ったことが認められるが、これはいかなる理由によるのか、⑶《証拠略》によれば、検察官沖中益太は、原告隆が本件犯行に使用した凶器を隠匿し、アリバイに関し虚偽の供述をしていると主張していることが認められるが、そうだとすれば、右のように 証拠湮滅工作までする 原告隆が、犯行後逮捕されるまでの間、被害者の返り血をあびたとされる本件白シャツを着て庭仕事をしていたことになるが、それはいかにも不自然であること、⑷前記三7㈡説示のとおり、原告隆は捜査官による取調べを受けた当初から本件犯行を強く否認していたのであるから、捜査段階において、本件白シャツを原告隆に示し、弁解を求めるのは、捜査の常道であると解されるところ、警察官は勿論、検察官も一度、本件白シャツを原告隆に示して弁解を求めていないのはいかなる理由に基づくのか(本件白シャツ)が押収されてから原告隆が起訴されるまで二か月間もあったのであるから、本件白シャツが前記三2説示のとおり、しばしば鑑定に供されたとしても、原告隆にこれを示して弁解を求めるくらいの時間的余裕は十分あったはずである。)など多くの疑問が生ずる。この点からしても、前記疑問点の解明は、前記古畑鑑定書を証拠とする場合、避けることができないものというべきである
 3 さらに、《証拠略》によれば、いずれも原一審及び原二審において証人として取り調べられた〔乙12〕、〔乙13〕、〔乙14〕、〔乙15〕、〔乙16〕、〔乙17〕、 原一審において証人として取り調べられた〔乙57〕、原二審で証人として取り調べられた〔乙11〕らは、本件発生の一時間くらい前または一時間くらい後に、本件現場付近で原告隆に似た体格、服装をした男を目撃した旨証言していることが認められるけれども、これらの証言はいずれも極めてあいまいで、到底目撃した男が原告隆であると特定しうるような内容ではないから、これらの証言によっても有罪判決を期待しうる合理的根拠が存在するに至ったとはいえず、他に公訴追行の過程において、有罪判決を期待しうる合理的根拠が存在するに至ったとみるべき証拠は何ら存しない。
 4 以上によれば、訴訟追行の過程において、有罪判決を期待しうる合理的根拠が