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原告隆が本件犯行に使用されたと思料される凶器を所持していたことを窺わせるに足る確たる証拠はなく、また、凶器が発見されていないことは証拠上明らかである。
 以上によれば、凶器に関する接査の結果によっても、原告隆を犯人とする証拠は何ら存しなかったとみるべきである

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   以上の認定事実を総合すれば、原告隆は逮捕以来終始一貫して無実を主張し続けていたのであり、しかも同人には犯行の動機とて見当らないうえ、犯行に使用された凶器も発見されていないばかりか、そのような凶器を原告隆が所持していたとも認められないこと、原告隆方周辺の血痕様斑痕も被害者の血液に由来するものであることを認めるに足る確たる証拠は何一つとして存在せず、目撃者〔乙2〕の検察官に対する供述も、警察官に対する供述と対比検討すれば決定的証拠とはなりえないこと、逮捕状請求の決定的根拠となった本件白靴に付着していた血痕は、これが押収された直後人血でその血液型はB型であると判定されたことがあったけれども、その後、鑑定の結果、血痕であることすら証明されなかったこと、以上の状況下において、唯一の物証である本件白シャツに付着している汚斑が血液であることは判明したものの、さらにそれが人であるか否かが最も重要な問題となり、検察官沖中益太もこの点に思いを致し、これを確認することが犯人を割り出すために極めて重要であることを十分認識し、この点を解明すべく捜査嘱託して、人血と断定しえないとの結論を得ていたにもかかわらず、いかなる理由からか、本件自シャツの血痕についての吟味を打ち切り、人血であることを確認することなく、ただその血液型が被害者のそれと一致することのみを確認しただけで、本件公訴を提起したものと認められる。ところで、仮りに本件白シャツに人血が付着していることを立証しえないとすれば、通常の検察官の立場に立ってみても、本件においては他に原告隆が犯人であることを認めるに足ると確たる証拠は何一つ存しないことに帰するとみるべき事案であるから、有罪判決を期待しうる合理的根拠が存したとはいえず、したがって、この時点で、検察官としては、公訴を提起しえない事態に立ち至ったものと判断し、殺人罪についての公訴提起を差し控え、さらにこの点の捜査を尽し、人血であることを確認したうえ、しかる後に起訴すべき職務上の注意義務があるというべきところ、検察官は右注意義務を怠り、本件白シャツに付着していた血痕が人血であるとの確認をしないまま本件公訴を提起したものであって、本件の公訴提起につき、犯罪の嫌疑が十分で有罪判決を期得しうる合理的根拠が存したものとは認められないから、その公訴提起は違法というべきである。そして、捜査段階において取集したすべての証拠を、予断、偏見を捨て、公平な立場から総合検討して公訴を提起するか否かを決定することは、検察官にとって最も重要な職務である。したがって、公訴の提起にあたり、右のような職務上の注意義務を怠った違法があった場合には、その違法の態様、程度からして、少なくとも当該検察官に過失があったと推認するのが相当である

四 公訴追行の違法性及び過失

 1 公訴追行も公訴提起と同様、有罪判決を期待しうる合理的根拠が存しないにもかかわらず、これがなされた場合には、その追行が違法となることは論を俟たないところであり、そして、公訴追行は、検察宮の主張である公訴事実(正確には訴因)を自ら入手し、あるいは入手可能な証拠により証明していく過程であるから、公訴の提起が違法である以上、その後の訴訟追行過程で有罪判決を期待しうる合理的根拠が存在するに至るなどの特段の事情が生じない限り、これもまた違法となると解するのが相当である。
 2 そこで、 本件についてこれを見るに、《証拠略》によれば、原一審は、本件白シャツにつき、弁護人申請の鑑定を採用し、その鑑定を東京大学教授古畑種基に命じたところ、同鑑定人はその作成にかかる鑑定書を提出したので、これが取り調べられたこと、その鑑定主文第一項に「本件白シャツには人血痕が付着していると判定する。」と記載されていることが認められる。そこで、その鑑定結果により、前記説示の公訴追行の瑕疵は治癒され、有罪判決を期待しうる合理的根拠が存在するに至ったと見うるか否かを検討する
 まず、本件訴訟にあらわれた全証拠及び弁論の全趣旨を検討しても、本件公訴提起時、検察官において右古畑鑑定の入手を予定もしくは期待していたことは全く疑われないから、右古畑鑑定が原一審に提出されたことによって、検察官の公訴追行の違法は治癒されないと解するが、それのみならず、《証拠略》によれば、以下の事実が認められる。
 ㈠ 右古畑鑑定がなされた当時本件白シャツに付着していた血痕は、犯行現場の昼表に付着していた血痕と同様の赤褐色を呈していたこと、昭和二四年一〇月一七日ころ、前記三木鑑定がなされた当時本件白シャツに付着していた血痕も赤褐色であったこと、しかるに、それ以前の同年九月一日ころ、科捜研において前記〔丙3〕・平嶋鑑定がなされた当時本件白シャツに付着していた汚斑は褐色であり、さらに同年八月二四日ころ、前記引田教授が本件白シャツを肉眼で検査した当時本件白シャツに付着していた汚斑は褪灰暗色(正確には帯灰暗色)で、路上の血痕とは著明に違っていたこと。
 ㈡ 前記古畑鑑定人は、一般に血痕は新鮮なうちは暗赤褐色を呈し、時日を経過するに従って赤褐色、褐色、帯緑褐色、灰色と順次変化するとの見解を有しており、引田一雄も血痕は古くなればなるほど赤色から灰色に変化するるのと考えていること。
 ㈢ 引田一雄は、北海道帝国大学医学部を卒業したのち、台湾台北帝国大学医学部法医学教室に勤務した後、北海道帝国大学助教授等を経て、本件発生当時は青森医学専門学校法医学教室の教授であり、台北