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符經は人間の大々的に活動せんことを希望するけれども而も又其心を靜かにするの必要あるを認めて居る。心を靜かにし居る時は百般の理が明々白々地に映じ來りて洞察せらるゝに至る。陰符經の作者は此の種の立脚地に立たんことを希望して居るのである。

 要之。陰符經一書の主とする所は事物の裏面を觀察するに在る。人の氣付かざる所を見るに在る。心を靜かにして機の欲なる處を察するに在る。獅子を殺すものは匕首を懷にして深く荒漠の野に入り其の來るを見るや右膝を地に付け匕首を右にし虛心平氣些の逼る氣なし。九尺に餘る猛獸は烟を立て疾驅し來り怒りて見、口を開きて將さに嚙まんとす。電光一閃、匕首其喉を割、流石の猛獸も地を撼かさん許りに倒る。此れなどは死中に活路を發見するものである。心を靜かにするにあらざれば此種の藝をなすことは出來ない。陰符經の主とする所は這般の心的狀態に在る。乃ち莊子の養生主に庖丁が文惠君