Page:EAPoe-Ms.Found in a Bottle (translated by Watanabe On)-2019-Chūkō.djvu/6

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 間もなく私は年老いたスエデン人の声を耳にした。彼は出帆の間際にこの船に乗り込んだのであつた。私があらん限りの声で呼びかけると、彼は直ぐによろめきながら船尾の方へやつて来た。我々はそこで、自分達二人だけがこの災厄のせいざんしやであることを知つた。我々をのぞいて甲板の上の一切の物が洗ひさらはれてしまつたのだ。船長を初め船員共は眠つてゐるにやられたに違ひない。船室にはすべて水がほんちゆうしてゐた。何の援助もなくして我々の手で船を救ふ見込みはなかつたし、それに刻々と沈みつつあると言ふ意識は我々の努力を麻󠄁痺させるに充分であつた。いかりづなは勿論最初のふうからげなわの如く切断されてしまつたが、もない時には船はひとたまりもなくくつがへされてゐたであらう。我々は恐しい速力で海上をはしつてゐた。波はくだけずに船の上を越えて行つた。ともの骨組は無残に打ち砕かれて、その他の部分も大概ひどくそこなはれてしまつたが、しかし非常にれしかつたことにも我々はポンプがふさがれていないのとバラストがそのまゝであることを発見した。暴風の頂上はすでに吹き過ぎてゐたので、風の危険は少くママなつたわけだが、我々のこんなおぼつかない船体では、風のいだのちに来る大浪に依存つてじんに打ち砕かれてしまふことは明かママであつた。とは言へ、この極めて正しい意見は直ぐには実証されなかつた。まるいついつの間――その間の我々の生活は非常な困難のもとに水夫部屋から取つて来ることの出来た椰子糖に依つてたもたれた――船体は、最初の毒熱風程狂暴ではなかつたにせよ、私がその以前にであつたいかなる暴風にもまさる短いつぎやに起るママしつぷうを受けて、はかがたい速力で飛走してゐた。航路は、初めの四日間は少し変つたのみで東南なんの方角をとつてゐたので、ニューオランダ (オーストレリアの事) の岸につてくだつてゐたはずである。五日目になると、風はさらに一点だけ北に変つたのだが、にわかに寒気がはげしくなつた。太陽は鈍い病的な黄色い輝きを帯びて、水平線よりほんのわずかしか上らなかつた。雲の姿は見られなかつたが、風は次第につのつてかんけつてきさだまりなく吹きすさんだ。どうやらしよぶんと思はれる頃、我々の注意は再び太陽に奪はれた。それは恐らく光がきよくしたとでも言ふのであらう、反射もなくものういんうつくらくなつた。そしてふくれ上つた海に沈みながら、あたかも途方もない力に依つて突然かき消されたかの如く、その中心のせんこううしなつた。いくひろとも測り知れぬ大洋の中へ落ち込んで行くそれは、たずゞもうろうたる銀のであつた。


 我々はかいなくむいの日の明けるのを待ちあこがれた――その日は私にはいまだ来なかつた――またスエデンの男には永遠にやつて来なかつたのである。それ以後我々は真黒なやみにのみ込まれて、船から二十歩先のものをも見ることが出来なかつた。我々を包むえいごう、熱帯の海でしばしば見慣れたりんこうにももはたよることが出来なかつた。風は不滅の狂暴さを以て荒れ続けてゐたが、今まで我々にいて来てゐるやうな普通のよせなみや泡はすでになくなつてゐた。我々を取りくすべては、恐怖と、重々しい憂鬱と、それから真黒な気の遠くなるやうなこくたんばくとであつた。迷信的の恐怖は次第に老スエデン人の心に這ひ込んで行つた。また私自身のたましいは無言の驚異に包まれた。我々は、船がや役に立たぬ以上にこわ