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7:30に駅に着くと、動き出すまで1時間以上も客車の中で座っていなければならなかった。東に行けば行くほど、列車は時間通りに来ないようだ。中国ではどうなっているのだろう。

一日中、私たちは、あらゆる種類の美しさに満ちた国の中を、とぼとぼと歩いているようだった。時には、古い聖書で見たような急な丘の上にある小さな町や城を見たり、時には、両側の広い石の縁から大洪水が起こりそうな川や小川のそばを走ったりした。川の外縁を一掃するには、相当な水量と強い流れが必要だ。どの駅にも、さまざまな服装をした人々の集団が、時には群衆がいた。中には、故郷の農民や、フランスやドイツで見た、短い上着に丸い帽子、自作のズボンをはいた人たちもいたが、とても絵になる人たちもいた。女性たちは、近寄ったとき以外はきれいに見えたが、腰のあたりが非常に不格好だった。白い袖がいっぱいあって、ほとんどの人は大きなベルトをしていて、そこからバレエのドレスのようにたくさんの帯状のものがひらひらと揺れていた。私たちが見た最も奇妙な人たちはスロバキア人で、他の人たちよりも野蛮だった。大きなカウボーイハット、大きな袋状の汚れた白いズボン、白い麻のシャツ、幅1フィート近い巨大な重い革ベルト、すべてに真鍮の釘が突き刺さっていた。彼らは高いブーツを履き、ズボンをその中に入れ、長い黒髪と重い黒ひげを生やしていた。彼らはとても絵になるのだが、魅力的ではない。舞台の上では、すぐに東洋の古い山賊の一団と見なされてしまうだろう。しかし、彼らは非常に無害で、むしろ自然な自己主張がないと言われている。

ビストリッツに着いたのは夕暮れ時だったが、ここはとても興味深い場所だった。ボルゴ峠からブコビナへと続くこの地は、実質的に辺境にあり、非常に荒々しい歴史を歩んできたことがうかがえる。50年前に大火事があり、5回にわたって大惨事に見舞われた。その最初の7回目の大火の時