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十日。石君と「クレツテ」に晚餐す。

十一日。夕シヤイベの講あり。武島と逢ふ。

十二日。夜宴を大和會堂に張りて斯波淳六郞の英吉利に之くを送る。席間檜山と法學の事を話す。檜山大にギヨツチンゲン Goettingen のイヘリング Ihering を贊揚す。且曰く。君がナウマンを駁する文をイヘリングに示しゝに、其の偏ならざるを賞したり。宮崎津城も亦此人を敬すること他師に過ぐ。君何ぞ其二三の著を讀まざると。余喜びて諾す。

十三日。夜ミユルレルを訪ふ。

十四日。グツトマンを訪ふ。獨逸醫事週報の編輯長なり。余が在橫濱の米人シモンス Simmons を駁する文を揭載せんことを請ふ。グツトマン直ちに之を諾す。且曰く。曩には北里醫學士あり。我社に文を投ずる約を締べり。君も亦能く我通信員たらん乎。曰く可なり。再會を約して歸る。夜石君を訪ふ。小池正直の書を得たり。石君曰く。足立軍醫正の書來る。橋本軍醫總監の意を承くる者なり。謂ふ。森林太郞の洋行は事務取調を兼ぬ。其歸朝の前必ず一たび隊附醫官の務を取らしむべし。然らずは陸軍省に對して體面惡しからんと。余對へて曰く。林太郞は唯ゞ命令を聞くのみ。意見を陳ず可きに非ず。謹みて諾す。曰く。孰れ福島取締と相談すべしと。家に歸りて小池の書を披く。曰く。老兄は軍隊に附け、谷口は專ら石君の補助とし、事務上の事同君と同じく取調べさせたき局長の心中なり。或は谷口の要求にはあらずや。例の陰險家ゆゑ萬事注意せられよ。うかとするときは毒螫を蒙らん。秘々。往日維納に客たり。谷口醉ふ。余に謂て曰く。僕足下の薦擧に賴りて軍醫本部に入る。遂に航西の命を受くる幸あり。內橋木總監の眷顧を得、外三浦中將の應援ありて能く此に至れりと雖、當初足下の一言亦與りて力あり。僕性忍べり。禍害を人に及ぼすも、其結果の僕の爲めに利あるときは、復た顧慮するに遑あらず。祗ゞ足下に於いては僕欺くに忍びずと。若し小池の推察をして信ならしめん乎。谷口の余を除くに刄を籍らず毒を須ゐず、單ゞこれを遠くるのみなりしは、聊以て前日の友誼に報ずる意ならん。