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或は曰く其女甚美なり)ジイボルト、齋藤修一郞等を見る。龜井子爵亦在り。頗る健全。座間石君乃木に謂て曰く。森子の正服舊製に依る。肩章及腰帶なし。之を谷口の新正服に比すれば甚だ劣れり。故に旅中人谷口を呼びて軍醫正君とし、森を軍醫君とせりと。乃木余に向ひて曰く。然し得なることも有りしならん。余急に答へて曰く。そこ等は油斷なく利用せり。一座大に笑ふ。土方試を受けて落第せることを話す。曰く問題中外國人は養兵の學校に入るを許すべきや否といふものあり。余は外國人なり。此間に答ふること能はず。是れ問者の罪なりと。余私に曰く。果して然らば李斯復た客を逐ふを諫むること能はざるなり。

四日。夜石君の爲めに傅譯す。

五日。小倉來る。罪を謝す。且曰く。巷說眞に非ず。請ふ之を信ずること勿れ。曰く。余も其眞に非ざることを望む者なり。願くは品行を改めて復た他人の口頭に挂らざれ。唯ゞ余に問ふに君の事を以てする者あらば余は知らざるを以て答へんのみ。請ふ憂と爲すこと勿れ。乃ち別る。家書至る。

六日。夜ミユルレルを訪ふ。法理を談ず

七日。午前公使舘に至り、有森と話す。人と爲り慷慨愛す可し。夜一瀨に大和會堂に邂逅す。其人と爲り快活喜ぶ可し。惜むらくは人に傲る癖あるに似たり。皆法家なり。

八日。夜平島、平井等と「クレツテ」に會す。平島は野にして禮儀少く、平井は柔にして氣骨に乏し。亦並に法家なり。

九日。井上巽軒の佛敎耶蘇敎と孰れか優れると云ふ論を聞く。大意謂ふ。佛の如來には人性なし。耶蘇の神に優れり。佛の大乘は因果を說く。而して重きを後身に歸せず。其小乘との差此に在り。耶蘇の未來說に優れり。佛は覺者なり。耶蘇の神子と稱するに優れり云々。余問ひて曰く。今哲學には定論と認むる者なきに似たり何如。曰く凡そ萬有學に根する者は皆今日の哲學なり。其他フエヒネル Fechner の心理 Psychologie, カント Kant の道德 Ethik 皆定論なり。