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十五日。午後始て雪ふる。夜大和會堂に至る。
十六日。下水役人ラシユケとグライフスワルド街 Greifswalderstrasse なる屠馬塲に至る。衞生試驗の材料たる汚水を採酌するなり。夜隈川に逢ふ。其日本食試驗を行ふに意あるを聞き、之を贊揚す。
十七日。夜大和會堂に至る。一人を見ず。因りて獨坐莊子を披覽す。午夜家に歸る。
十八日。夜石君を訪ふ。斯波に逢ふ。曰ふ。明夕伯林を發すと。
十九日。夜「ヨスチイ」骨喜店 Café Josty に至る。
二十日。夜ミユルレルを訪ふ。哲二郞も亦至る。東洋語學の事を論ず。後仙賀と話す。日々新聞の通信員なり。經濟學を修む。曰く。獨逸の學士分類立系の癖あり。經濟論中生產消耗の兩章を分つに至る。無益ならずや云々。
二十一日。石君を訪ふ。松平の書維納より至る。谷口の婚成らざるに似たりと。川上少將蛋白尿を患ふるを聞く。
二十二日。家書至る。川上少將を訪ふ。逢はず。
二十三日。家書至る。シヤイベを訪ふ。妻の姪あり。年十六七。可怜の少艾なり。
二十四日。石君報じて曰く。江口軍醫來れり。明晚相會する約あり。子蓋ぞ來らざると。
二十五日。江口と石君の家に會す。伴ひて片山國嘉の家に至る。
二十六日。大和會の例會あり。演說す。その略に曰く。諸君よ。本員は前會散ずる後大海原尙義君と話し、少しく感觸する所あり。後二三君の同意を得て其考案を牢うし、遂に今日諸君の淸聽を煩はすことゝはなれり。余は本會の一弊を發見したり。之を除かば會の盛を致すことを得るならん。此意見を陳ずるに先ちて、用語法上一言すべきことあり。會社、集會、會議、懇親會、皆單に會