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二十六日。武島務に逢ふ。曾て三等軍醫たり。私費留學す。資金至らず。大に窮す。遂に將に戶主に訴へられんとす。福島之を聞きて歸朝を命ず。石君の至るや、命じて其職を辞せしむ。或は曰く。金に窮するは人々免れざる所なり。其離職に至るは、某の讒に由ると。果して然るや否。務性强梗屈せず。彼名倉幸作兒女態を作す比に非ず。言論慷慨愛す可し。

二十七日。下水喞筒操作所 Pumpstation に至り、操作監ラシユケ Betriebsinspector Paul Laschke の誘導を請ひ、中央屠塲に入り、下水を汲む。以て試驗材料と爲すなり。午後六時石君敎をシヤイベに受く。谷口と余と舌人たり。

二十八日。井上巽軒に逢ふ。巽軒今伯林東洋語學校の敎官たり。ランゲ Lange と俱に日本語を授く。余に贈るに寫影一葉を以てす。

二十九日。大和會に臨む。

三十日。佛語を學ぶ。師をベツク Bernhard Beck (Schmidstrasse № 8) と爲す。ベツク謝金を受けず。余之に授くるに日本語を以てす。是より每日曜日午前相會することを約するなり。夜劇を宮廷戲園 Schauspielhaus に觀る。演する所はシエエクスピイヤ Shakespeare ハムレツト Hamlet なり。

三十一日。ミユルレルを訪ふ。彫工多胡と話す。小倉庄太郞は曾てトユウビンゲンに在り。自ら伯爵某と稱し、日本大藏大臣は我父なりと云ひ、一種の制服を擬造して之を着たり。多胡一日爲換官金四百麻を領取せんことを小倉に托す。未だ小倉の奸詐此の如きを知らざるなり。小倉金を奪ひて與へず云々。


十一月一日。夜圖師崎警官とクレツプス氏骨喜店に會す。

二日。夜高橋繁、井上哲二郞と酒家「クレツテ」に會す。

三日。井上勝之助天長節の宴を公使舘に開く。余正裝之に赴く。領事ヲルフゾオン Wolfsohn, (猶太敎徒なり、