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小倉は君に返すと稱して余に百二十麻を借りたり。所謂小倉庄太郞は兩少將の僕なり。初め獨逸に來り居て、政治學を修むと稱す。面貌俊美、辯口あり。貪窶にして學校に留まること能はず。將官憫みて扶持す。一日余を訪ひて曰く。嘗てチユウビンゲン Thuebingen 大學に在りし時借財あり。今百二十麻を請求せらる。急に之を辨ずるに苦む。君餘裕あらば之を繕へと。余諾す。小倉曰く。此事秘を要す。他言すること勿れ。曰く可なり。後余維納に在り。小倉書を寄せて曰く。聞く君乃木少將と現に維訥に在りと。少將或は君に問ふに僕が借りたる金の事を以てせば、請ふらくは已に返すと吿げよ。敢て請ふと。余書を作りて答へて曰く。貴諭を領す。僕の金を君に授くるや共に他人に吿ぐること無きを誓ふ。僕默然たること魚の如し。將官は果して何人より之を知るか。僕大に之を疑ふ。若し僕をして足下の人と爲りを知らざらしめんか。或は將に疑ひて曰はんとす。小倉金を余に返すと詐り、之を其主に受け、徒然散擲せりと。然れども僕は足下の此事なきを知る。僕今餘資あり。請ふらくは以て念と爲すこと莫れと。歸途兩將官とシルレル骨喜店 Café Schiller に至る。

ニ十四日。フランクを問ふ。逢はず。

二十五日。衞生試驗材料を求めんが爲めに、伯林下水第五放線系統の操作局 Betriebsbureau に至る。局長ゴルドウスキイ Goldowsky と話す。夜石君の家を訪ふ。石君齋藤修一郞及中濱東一郞の事を話す。其一。ジイボルト Siebold 頃ろ伯林に滯す。一日石君を訪ふ。曰く咋夜一咖啡店に入る。日本人を見る。頗る齋藤修一郞君に似たり。頭に紅帽を戴く。帽の前面に一星章を懸く。金色爛然たり。店僮以て日本貴公子と爲す。待遇甚だ渥し。滿塲の人怪みて注視す。一士官の曰く。其の戴く所の帽は魯國騎兵の帽にして、帽前の星章は魯國の某勳章なりと。其人果して齋藤氏乎。其星章果して魯帝授くる所の勳章乎。何ぞ妄用の甚きや。魯帝若之を聞き勳を褫ふことあらば、實に日本の辱なり。其二。中濱の伯林に在るや、石君の家に寄寓す。妓某と狎る。去後妓書を中濱の寓に致す。石君の手に落つ。然れども其の何人に寄するを知らず。衆に問ふ。或は之を知る。敢て吿げざるなり。加藤照麿往いて吿ぐ。石君書を中濱に寄せて之を責む云々。