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八日。夜九時維訥府を發す。德停にて谷口と別る。谷口はマグデブルク Magdeburg に赴き、棚橋の妻の妹と見合するなり。

九日。日曜午時伯林府に還る。

十日。衞生試驗所にて試驗を始む。

十一日。家書至る。夜龜井を訪ふ。在らず。

十二日。楠秀太郞來る。淸水格亮及龜井家從の書簡を得たり。答書を作りて官郵に附す。

十八日。始て高橋繁と相見る。熊本の人。醫をストラアスブルクに學ぶ。長岡の醫生小林某日本婦人を伴ひて伯林に來り、 トヨツプフエル氏客舘に宿す。日本服を着て此に來り、絕て交を日本人に通ぜず。踪跡頗奇なり。余試に往いて訪ふ。小林曰く。將に來責府に赴き、醫學を修めんとす。婦人篤次郞を識る。曰く。君は千住の森氏の阿兄か。篤次郞君に比するに面長からずと。

十九日。家書至る。

二十日。新聞紙至る。羅馬字雜誌 (第十一册第二十六號) 阿君の文を載す。

二十一日。夜普國軍醫學會に赴く。軍醫監ヱエゲネル Wegener 議長たり。ヱエゲネルは獨逸皇太子の侍醫なり。皇太子喉頭に瘤を生じ、英醫マツケンヂイ Mackenzie 之を療す。ヱエゲネル關らず。世以て慙と爲す。知名の內科醫ライデン Leiden 神經病論 Neuro-Pathologie を講ず。盖し得意の科なり。叙論冗長、人をして欠伸せしむ。面貌は麻木の狀の如し。余心これを怪む。

二十二日。福島の新居を訪ふ。聞く陰疾ありと。谷口の選豈其人を得ざる耶。

二十三日。谷ロマグデブルク Magdeburg に赴く。早川の宴に赴く。兩少將、野田、福島、楠瀨、山根等皆至る。伊地知大尉形而上諭 Metaphysik の事を話す。淺薄笑ふ可し。楠瀨曰く。聞く君曾て金を小倉庄太郞に貸すと。已に淸算せしや。曰く曾て貸したることなし。曰く