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七日。大尉カルヽを訪ふ。

十二日。三宅を送りて停車塲に至る。羅馬府に赴く心算なりといふ。

十六日。ミシエル、レヰイ Michel Lévy 著す所の衞生書 Traité d'hygiène 巴里より至る。是れ余が佛國醫籍を購ふ初なり。故に記す。

十七日。ペツテンコオフエル師余を招く。是より先き余駁拏烏蔄論を作る。ナウマンが普通新聞 Allgemeine Zeitung に投じたる一文章日本聯島の地と民と Land und Leute der japanischen Inselkette 及其の民顯府人類學會 Anthropologische Gesellschaft (リユウジンゲル Ruedinger 之に長たり) に演したる日本論に向ひて一攻擊を試みたるなり。ナウマンの文辞は彼德停府地學會の祭日に演したる一篇と大同小異にて、獨逸の諸府何處にか渠が此妄言を擅にせざりし所あらん。最後に其口舌のみにては飽かず思ひて、遂に獨逸語を操る學問社會に貴重せらるゝ普通新聞 (此新聞の價値は先月瑞西國チユウリヒ府に歿したる諷世嘲俗に名ある文士シエル Johannes Scherr が終焉に近き日まで之を病牀に讀ませて聞きしにても明ならん) に揭錄せしめたりしは、憎む可き事といふべし。余が駁文をば一友人に筆削せしめ、之をペツテンコオフエル師の許に託し置き、閑ある時に一覽し、若し可とせられなば、之を其友人たる普通新聞の編緝者ブラウン Braun に送られんことを請ひしに、此日同君余を招き、一書翰を手にし、余を呼びて曰く。君の駁論は已に閱したり。君自ら此稿と此翰とを携へて編緝局に至るを可とす。ブラウンも亦奇なる文士と相識るを喜ぶなるべし。余が書は君に慝す可きに非ず。請ふらくば余が讀むを聽けと。其文の大意に謂へらく。森學士は我衞生學敎室の同人 Mitarbeiter なり。貴局新聞に記載せるナウマン氏の文を讀みて、太く其實に悖るを僧み、駁文一篇を草す。森君は獨り醫學及他の自然學の敎育を受けたるのみならず、其內外の書籍を讀み、古今の事蹟に通じたるは、其文に徵して明たり。羅甸の諺に謂はずや。訟を斷ずる人は原吿被吿の双方を聞くに非では不可なりと。君若しナウマンの文を編錄して、森君の文を容れざらん乎。恐らくば君が平生の言に違はん。僕想ふに此の如き愛國者ある國 (das Land, wo ein so warmes Herz fuer ihn schlaegt) はナウマンの杞憂の如く顚覆滅亡する憂