Page:Doitsu nikki(diary in Germany).pdf/71

提供:Wikisource
このページは検証済みです

なからんとなり。讀み了りて余が稿を出し、其自ら添削せる處を示し、余が同意を表するを待ちて、稿と書とを余に渡して曰く。渠の許に往け。君の此擧は甚だ善し Gehen Sie zu ihm ! Das haben Sie gut gemacht. といへり。師は多言せず。然れども其文飾せざる數語は能く人の心肝に銘ず。余好意を謝し、辞して試驗室を出で、シユワンタアレル街七十一號なる編緝局に至る。ブラウンを見る。ブラウン名はオツトオ Otto 一の肥胖翁なり。明色の鬚髯其方面を繞る。余が稿本と標目と師の書狀とを見る。曰君自ら之を草せるや。曰然り。曰ナウマンは現に民顯府に在り。君渠と相識るや。曰曾て其面を識る。未だ其人と爲りを詳にせず。曰ナウマンの文は大に吾曹の意に適せり。果して實に乖く者ありや。曰一にして足らず。曰十四日內には君の文を揭載する好機會あらん。校合は君自ら之に任ずるや。曰諾。余は宿所を記したる名刺を留め、再會を約して歸れり。嗚呼彼の日本癖あるロオトすら、ナウマンの演說を聞き、余が之に服せざる故を解せざりき。ブラウンの未だ余を識らず、未だ余が稿を閱せずして之を疑ふ意あるは、盖し怪むに足らず。

十八日。午前伻新聞社より來る。既に全文を印刷せり。想ふにブラウン余が歸後に稿本を翻閱し、其意を翻したるなる可し。余直ちに校合して返附す。午後一時ペツテンコオフエル師の招宴にシユライヒ酒店 Restauration Schleich に赴く。師の夫人及レンクの妻を宴に與る二女子とす。余が坐は師の夫人の左にして、レンクの妻と相對す。來客には師の部屬の助敎授輩と中濱東一郞とあり。師起ちて演說す。荊妻と余とは每歲尾に我事業を輔翼し、余と喜憂を共にする諸彥を會し、粗餐を供するを以て快樂とせり。今茲の會は別に一事の賀す可きあり。是れ諸彥の熟知する所なり。(レンクの妻を斜視す。其新婚を慶するなり。) 又一の言ふ可き事あり。今余と喜憂を共にする諸彥を見るにつけ、曾て余と喜憂を共にして今在らざる人々こそなつかしけれ。卽ちソイカヲルフヒユウゲル Wolffhuegel 緖方の諸彥是なり。此會や宜く舊誼を懷ひ新交を渥うし、共に眞成なる衞生學の進步を謀ることを忘るゝこと無かるべし云々。レンク余等に代りて答ふ。午後三時散會す。師の所謂喜憂を同じうするものは吾これを知れり。師は老いたり。そのコツホと論鋒を交ふるや、時に强弩の餘勢に似たるものあり。吾黨の此人を欽慕し來りて敎を請ふを見ては、師の心中盖し空谷跫音の念あるならん。