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十三日。丹波敬三ブダペスト Budapest に往きし歸途此に立ち寄り、此日土曜日に當るを以て、余等を誘ひてレオニイに遊ぶ。汽車のスタルンベルヒに達するや、馬車二輛を雇ひ、湖を環りてレオニイに至る。酒を呼びて興を盡し、此に泊す。

十四日。朝レオニイ客舍に在りて夢醒む。同行者皆眠る。余咖啡一盞を喫し畢り、步してロツトマン丘の左なる小寺院に至る。避暑遊の時未だ見るに及ばざりしを以てなり。右邊亞爾伯山を望む。曙光と相映じ、其美言はん方なし。午時舟を命じて歸る。諸氏は猶午後の興を失はじとて留れり。丹波余を送りて馬頭に至る。舟の遠かるを見、手巾を振ひて別意を表す。忽ち足を失して水中に墜つ。幸にして水淺く、傷くこと無かりき。

十六日。中澤氏伯林より來る。應用化學を修む。撞球戲の妙手なり。

十七日。家書至る。

十八日。雪ふる。夜中澤と「グリユウンワルド」客舘に會す。栗を喫す。煨栗は冬時盛に之を賣る。賣る者は皆伊太利人なり。栗を君 Maroni, Signore の聲街に滿つ。

二十一日。大尉カルヽの家に午餐す。夜ヲルフ Wolf の旗亭に會す。原田直二郞を送るなり。愛妾マリイも亦た侍す。原田の遺子を妊めり。

二十二日。午前七時十五分原田を送りて停車塲に至る。原田は瑞西を經て伊太利に赴き、佛蘭西より舟に上ると云ふ。

二十九日。家書至る。レエマン余に代りて余が亞兒箇兒に關する試驗の成績を形貌學及生理學會 Gesellschaft fuer Morphologie und Physiologie に演す。大に緖家の喝采を博せり。

十二月四日。三宅醫科大學長此府に着す。

六日。三宅余等の試驗塲に來る。ペツテンコオフエル師と語る。