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十二日。晴。舟を湖上に泛ぶ。大尉アウグスト、カルヽ August Karl 夫妻及其兒アルベルト Albert と相識る。夫人は明色の人にして、身の長余より一岌高きが、順良なる人なり。曾て伊國に遊びしことなどありて、談話いと面白し。殊に話ヱネチヤ Venezia に及びしときは、稱揚口を絕たず。余書中にて讀みしことを擧げて之に質すに、答ふる所鑿々として據あり。アルベルト Albert は余に馴れ、余と相逢ふ每に、延いて母の許に至る。曰く。盍ぞ又伊太利の事を話せざるやと。大尉は此日ミユンヘンに歸れど、妻と兒とは猶レオニイ Leoni に留ると云ふ。客舍は余と同じ。

十三日。晴。日本家屋論第二稿略〻整頓す。

十四日。加藤歸府の報あり。駁拏烏蔄ナウマン論の稿を起す。是は他日世に公にする意あれども、成否は未だ知らず。リツヒヤルド、スタイン Richard Stein と云ふ兒余が室を訪ふ。其父母姉妹と暑を避けて此地に在り。慧敏愛す可し。妹ヘレエネ Helene も亦可憐兒なり。居はミユンヘンマツフエイ Maffei 街に在りと。

十五日。風雨。冷甚し。

十六日。雨。アルベルト母とミユンヘンに歸る。相訪問する約あり。居はシユワアンタアレル街にて余が家を距ること遠からず。

十七日。晴。昨日の雨にて客多く去りし故、此朝食堂に入りしときは、余と一婦人其侍婢と三人のみなり。婦人は中尉の妻にて貴族なりと人の云ふを聞きしが、此時余に詞を掛けたり。名はドオリス、フオン、ヴヨオドケ Doris von Woedtke とて、家はミユンヘンゼンドリング門逵 Sendlingsthorplatz に在りとぞ。余に借すに稗史數卷を以てす。曰く歸府の後返されんも可なりと。

十八日。陰。ミユンヘン府に歸る。

十九日。朝加藤照麿、石川千代松と余が歸府を聞きて來り訪ふ。共に「コロツセウム」Colosseum に至る。石川は動物博士なり。快活にして田中正平の風あり。

二十一日。夜加藤余を伴ひて曲馬塲に至る。ベルンハ