Page:Doitsu nikki(diary in Germany).pdf/66

提供:Wikisource
このページは検証済みです

ルヂイネ Bernhardine Nicolaisen といふ少女、技は甚だ拙けれども、年齒十五六、嬌姿人を惱ませり。

二十三日。又コペルニツク Copernik に逢ふ。

二十四日。加藤と設色偶人を看る。(Chromoplastisches Panorama.) 基督磔刑の狀を摸す。淺草奧山の活人形に劣るとも勝ることなし。一笑して出づ。

二十五日。谷口謙伯靈に到ると報ず。その受くる所の學資は余の額に比すれば頗る多しとぞ。

二十六日。午餐後シユワアンタアレル街を散步す。アルベルトに邂逅す。

二十七日。巌佐新瑞西より歸る。

二十八日。岩佐と加藤の家に晚餐す。

二十九日。濱田ストラアスブルク Strassburg より來る。ヰンケル Winckel に從ひて婦人科を修むるなり。濱田は老成人にて、絕て吾輩諸生の態度なし。

三十日。加藤居をゼンドリング門逵 (9. I. 1.) に遷す。新居の窓前は噴水空に迸り、綠樹日を蔽ふ。眞に奇景なり。

十月一日。夜原田直二郞マリイコツヘル Kochel より、レエマン伯林より歸る。

二日。朝レエマンを訪ふ。曰く。明後日は試驗室を開かんと。ロオトの書至る。曰く。君の日本軍醫部編成の記及患者統計表は萬國軍醫事業進步年報中に收めたり。同書一部及謝金二十七麻は次便に送致せん云々。

三日。日曜日なるが上に所謂十月祭 Oktoberfestなるを以て、余が芻街の僑居の邊は、雜沓甚し。祭場はテレジア牧なり。競馬自轉車の競走等あり。其他雜伎を奏し、奇獸を眎すなど、往時神田の防火地の景况と殆ど相同じ。甚しきは人魚と名け、裸婦人を見するに至る。水虎の見せもの、復た何ぞ撰ばん。競馬のときは王族皆來り觀る。車駕の祭塲に至るとき、街側の甃道 Trottoirs に待ち受