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其扉を叩く。少焉にして扉を開く者あり。嬌聲「ドクトル」來ると叫ぶ。卽ちリイスヘンなり。フオオゲル氏庖厨より出てゝ喜び迎ふ。且曰く。今日の贈は人々其の何人より來るを知らざりしに、君の曾て愛する所の少年ワルテル Walther は獨り君の筆札を認めたり。ワルテルは方纔爺孃の許に還りぬと。既にして巽軒、津城、ニイデルミユルレル氏、ルチウス氏皆出でゝ余の約を踐めるを謝す。來責を去るや、降聖節に至らば再び相見んと云へり。故に此の如し。ニイデルミユルレル氏の云く。君は何時に此に着し、何處に行李を安頓し玉へるか。曰く。昨夕着し、行李は魯國客舘に在り。曰く。相見ざること二三月。何ぞ吾等を疎んじ玉ふこと此に至るや。明旦は必ず我家の一室に遷り玉へ。昨日以來灑掃して君の來るを待てりと。余同行あるを以て客舘に投じたりと謝す。鄕誠之助と相見る。誠之助はハルレ Halleに在りて經濟學を修む。曾て津城とハイデルベルヒに同居したりしことある故、此祭日にも亦津城を訪へるなり。快濶の少年にて、好みて撞球戲を爲す。已にして祭日贈遺 Bescherung を始む。一室に大卓を置き、貽を其上に列べ、室の一端には綠樹を建て、飾るに金銀紙、設色糖菓等を以てし、枝上に許多の燭を燃し、家族を會同して貽を分つ。フリイダオツトオ Frieda, Otto の二兒並び立ちて降聖誌を暗誦す。贈遺畢る。晚餐の饗あり。シユワアブ夫人 Schwab も亦在り。トリエスト Triest の人。曾て余とシユライデン夫人の家に相識る。

二十五日ニイデルミユルレルの家に遷る。此日ニコライマイ Mai の二人と別室に食す。後リイスヘンと廊に逢ふ。曰く。今日は何故に別室に食し玉へるか。ルチウス氏も亦不平なりと。言ひ畢りて迯れ去る。

二十六日。「パノラマ」Panorama に至る。

二十七日。 大學衞生部に至る。僕ライヘンバハ Reichenbach 猶在り。曰く。ホフマン師はニユルンベルヒ Nuernberg に在りて未だ歸らず。ウユルツレルは德停府に在りと。是より先き二十四日の曉にホフマン師の居を訪ひしが已に出發後なりき。夜井上とアウエルバハ窖 Auerbachskeller に至る。ギヨオテの「フアウスト」Faust を譯するに漢詩體を以てせば何如抔と語りあひ、巽軒は終に余に勸むるに此業を以てす。余も亦戲に之を諾す。