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lai, 軍醫バルメルヰルケアンゲルマン酒店 Restaurant Angelmann (Pillnitzerstrasse 51) に至りて麥酒を酌む。夜半家に歸る。

十四日。夜工學校に至り、トヨブレル Toebler の演說を聽く。試驗を衆に示すには投影器 Projector を用ゐたり。試驗中管內水銀の凸面に格魯兒化水銀卽昇汞を注ぎ平面とならしめ、又柄ある圓板を稀酒精に泛べたる油球の中に囘轉し、木星の環に等しき油環を生ぜしめ、囘轉甚だ速かなるとき木星の星に比すべき小油球を生ぜしむる等の事あり。彼は重力、此は分子力なれども、其相似たるや是の如し。後ヰルケポルレンデル Pollaender に至る。法學士ズツツレエブ Sutzleb, 醫師シユツチエンマイステル Schuetzenmeister 及「ゲリヒツラアト」ヰサント Gerichtsrath Wisand 先づ在り。余等の來るを待てり。麥酒を酌みて談話す。午後九時三十分家に歸る。

十五日。三等軍醫ラアデストツク Georg Radestock 及同トレンクレルに誘はれ、オストラ、アルレエ Ostra-Allee なる學堂 Gewerbehaus に至り、樂を聽く。歸途佛國客舘 Hôtel de France に飮む。ヰルスドルツフエル街 Wilsdrufferstrasse に在り。

十七日。歲暮他に遷るべき諸醫官を會同し、衞戍病院の「カシノ」に飮む。

十八日。夜獵兵大隊の「カシノ」に至る。軍醫正ニコライの招に應ずるなり。

十九日。中尉シヨオンブロオトアウセンドルフ酒店に會す。

二十日。夜早川大尉とアンゲルマン酒店に會す。

二十三日。午後二時德停を發し、來責に赴く。フオオゲル氏の招に應ずるなり。ヰルケと行を同くするを以て、先づ彼得街 Peterstrasse なる魯國客舘 Hôtel de Russe に投ず。夜萩原三圭を其觀象街 Sternwartenstrasse の居に訪ふ。

二十四日。ヰルケと別る。ヰルケは其父兄の家に赴けり。先づ匿名してフオオゲル氏に贈遺し、午後六時自ら