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めにとて來たり。曰小童ワルテル Walther 富商の子なり。年十三。無邪氣にして愛すべし。其他前日記する所の人々は、或は避暑、或は移居、今復た此家に來らず。

十五日。穗積、樋山、佐藤の三氏伯林より至る。穗積は航西の時、余と舟を同うせし人なり。樋山は曾て判事たり。今伯林に在りて律を學ぶ。佐藤は米國留學生にして專ら農學を修む。

十六日。來游の諸氏と那破崙石に至り、コンネヰツツ Connewitz を經て還る。

十七日。朝穗積來て別を吿ぐ。

十八日。ルチウス Lucius 氏避暑の遊より歸る。

十九日。夜二波蘭人と水晶宮 Krystallpalast に至りて樂を聞く。此日波蘭人の名を識る。一をクペルニツク Cupernik と云ひ一をラツニンスキイ Lazninsky と云ふ。エリイ、バルナタン Elie Barnathan 及マリオン Marion と語る。彼は土耳格の人、巴里にて敎育を受けたりと云ふ。美貌の風流才子なり。樂を市樂堂 Conservatorium der Musik in Leipzig に學ぶ。此は里昂府の商賈、亦た樂人。

二十日。微雨。午後クペルニツクの居を訪ふ。又ホフマン師を訪ふ。夫人を見る。師は既に其避暑の遊より歸りたれど、今偶〻家に在らず。此日英國婦人ステンフオオス氏 Miss Stainforth 余等の午餐夥伴に入る。年十七八。嬌眸穠眉にして其髮深黑なり。亦樂を市樂堂に學ぶ。

二十二日。夜フオオゲル氏及ステンフオオス氏と同じく拜焉停車塲 Bayer'scher Bahnhof に至る。天寒きが故に奏樂なし。夜半家に歸る。婢の曰く。我情郞此に在り。君に謁せんことを請ふと。忽ち見る一人ありて白色の日本浴衣を着、婢の背後より躍出するを。卽ち癲狂學を修むる留學生榊俶なり。榊は伯林よりウユルツブルク Würzburg に至り、歸途余を訪ふなり。

二十三日。是日は前年家鄕を發せし日なり。萩原と舊を話す。書をトオマスサスニツツ Sassnitz auf Ruegen の浴塲に在るに寄す。頃日余も亦避暑に意なきにあらず。