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知らず。思ふに發途の時にやありけんと。

頃日暑中旅行の流行は、實に驚く可きものあり。游人中には我意に悖れども、止むことを得ずして游ぶ者あり。某の曰く。余は暑中酒家の園中に坐し、一盞の麥釀を喫するを以て樂とすれども、奈にせん荊妻の强いて旅行を勸むるありと。余婦人の果して旅行を好むや否を試問するに、未だ必ずしも然らず。其相識の婦人皆旅行するときは、自家のみ鄕に留りて、人の盤纒乏きを疑はんを慮り、夫を勸めて旅行するなり。故に相識の婦人程近き浴塲を訪へば、己れは去りてアルペン Alpen 山に上り、以て他日誇稱の資となさんと願ふなり。オツトオ、ロケツト Otto Roquette 嘗て畫工の徒らに遠游に耽りて、四邊の好景を顧みざるを笑ひたりき。嗚呼、豈特に畫工のみならんや。

飯島の去りてより、余は其舊室に遷れり。架上の洋書は己に百七十餘卷の多きに至る。鎖校以來、暫時閑暇なり。手に隨ひて繙閱す。其適言ふ可からず。盪胸決眦の文には希臘の大家ソフオクレエスオイリピデエスエスキユロス、Sophokles, Euripides, Aeskylos の傳奇あり。穠麗豐蔚の文には佛蘭の名匠オオネエアレヰイグレヰル Ohnet, Halévy, Gréville の情史あり。ダンテ Dante の神曲 Comedia は幽昧にして恍惚、ギヨオテ Goethe の全集は宏壯にして偉大なり。誰か來りて余が樂を分つ者ぞ。

余に午餐を供するフオオゲル氏 Frau Vogel の家にも、官廨庠序の休暇以還、來賓の更迭少なからず。今の坐上の客は左の如し曰。ワイガント Weigand 小學敎員にして、傍ら大學の講說を聞く。談話に巧なれども斗筲の小人なり。曩に舟行を與にしたる一人は此人なり。當時同行せしヒヨオゼルは放學中歸鄕せり。曰來責府觀象臺の吏某、余等戲に目して觀星先生 Sternwaerter と爲す。善く戲謔す。曰波蘭人二人、一は矮軀にして寡言なり。一は美貌にして辯を好む。並に名を知らず。槪して波蘭人の名は其語に通ずる者ならでは口舌に上すこと難し。マロン Maron といふ人の日本支那紀行に曰く。日本人の性は大に波蘭人に似たり。往古同統なる可しと。其妄笑ふ可しと雖、波蘭人の人に接すること慇懃に、傾盖故きが如く、動作敏捷、而も中心守る所あるは、頗る日本人に似たるを覺ゆ。唯ゞ余が識る所の數人に就きて言へば、間〻恭敬度に踰え、諛に近きことあり。殊に其婦人を敬するは鱟の媚に似たり。曰く紅衣の女子、名を失す。淡碧の瞳、明黃の髮、性甚だ溫和なり。數週前より行儀見習ひの爲